(一期一会)
……ひゅーぼて。
「じゃーな」と去って行く背中達に向かって手を振っていた歩が、扉が閉まった途端に突然、支えを失ったように倒れる。妙な擬音だが、そんな感じなのだから仕方ない。
鳴海家玄関口。今日は何やら千客万来な日で、彼らを呼びつけた当の本人は、倒れた歩を見て「あ、歩!?」などと、今頃になって慌てている。
「歩、どうしたんだ!?」
自分より頭一つ背が高い――まあ、兄貴なのだからしょうがないが――大の大人が何やら慌てているというその姿は、決して格好の良いもんじゃないと思う。
こんな兄貴を『神様』みたいにあがめ奉ってる奴らに見せてやったら、きっと目を点にして驚くに決まっている。
――今朝は、本当に大変だった。
丁度、姉さんが宿直で、朝はいないもんだから、簡単な料理で済まそうと、冷蔵庫を物色していた時だ。
ピンポーン――と、玄関先のチャイムが来客を告げる。
「……」
冷蔵庫の扉を閉め、発見した卵のパックをダイニングテーブルの上に置く。無地で飾り気が皆無なエプロンも、軽くたたんでその脇に。
時期的にも新聞配達の勧誘かN●Kの集金か何かだろう――そんなことを考えていて、良く確かめもせずにドアを開けたことを、実はちょっぴり後悔している。
内鍵を開け、チェーンを外し(ちょっと用心気味)、扉を開けた先には――
「やーほーっ、歩〜!兄ちゃんが帰って来たぞ〜っ!!」
「!!」
満面の笑顔で兄貴――鳴海清隆が、お土産片手に手を振っている。それを見た瞬間、思わずドアを閉めそうになったのは言うまでもない。
…まあ、この家は元々義姉さんと兄貴の新居に当たる訳だから、本来の住居人が帰ってきたというのに、締め出すわけにもいかず。
「…兄貴。どうしてこんな…」
こんな時にと。冷静を装って尋ねる。
『神』たる清隆が、何かブレードチルドレンのことで、動かなければならないことでもあったのか――もしくは、自分に――?
歩は、ふと思いを巡らす。
最近は、今日の天気のように、ブレチルたちもめっきり大人しく、事件だ何だも無い。歩は、この状況を、まるで嵐の前の静けさのように感じていた。
何か、この後に大きな運命が押し寄せるような――
それは、一種の勘だ。だが、常人の勘ではなく、『神の弟』・鳴海歩の、異常な鋭さを持つ勘である。だからこそ、予感の一言で済ませて良いものでもない。
そんなことを考えていた歩に――「んー」と、目の前で唸って、清隆は朗らかに笑う。
「……里心…かな?…歩の顔が突然見たくなってなあ」
完璧な笑顔。
「――あ``?」
予想外の返答に、歩は思わず聞き返した。
「歩が学校行って、イジメに会ってないかとか、悪い虫が付いていないかとかなあ…?…いやー、『ウォッチャー』から事情は多少、聞いてはいるんだが」
そんなことを言いながら、扉を押し開くと、ずんずん玄関に入り込む。「はい、お土産。ケーキだぞー」と、ニッコリ笑って、手にした箱を歩に手渡すことも忘れない。
「…あ、ああ。サンキュ」
「――あいつらにお前を見守らせるのは、何だか不安でなあ…」
靴を玄関に脱ぎ捨てると、そのまま真っ直ぐダイニングに向かう。
「ミイラ取りがミイラになってもらっては困るからな」などと先立って歩きながら、ぶつぶつと独り言を漏らしているのが聞こえる。
「…って、どういう意味だ?」
実はあまりわかっていない歩が、その後ろから怪訝な顔で問いかける。しかし、良くないことを言われているのはわかるらしい。その問いかけには、清隆は謎の多い笑顔のみで返す。
「んー?内緒v」
そんな清隆の様子に、歩は一旦眉を顰め、それから一人で短い溜息を吐いた。
清隆が奸計や隠し事が好きだというのは、否定はしない。――だが、言わなくても良いこと、いづれわかること、そういうものについては、『内緒』にしたがる傾向があるように思う。
――悪趣味な話ではあるが、それまでの過程を楽しんでいるのだ。
それに、ああみえて、意外に口を割らせるのが難しい兄だということは、長年の経験で知っている。
「……ところで兄貴」
仕方なく、歩は話題を変えることにした。
「里心って言ってたが…せめて義姉さんが帰って来るくらいまでは、家にいるんだろうな?…また勝手にどっか行くんじゃないだろうな?」
テーブルの上にあるエプロンを取り、再び付け直しながら尋ねる。卵のパックを持ち上げて振り返ると、清隆が、彼専用の席に座り、にこやかに微笑んでいるのが見えた。
「おっ、卵系の料理か。うんうん。兄ちゃんはオムライスが好きだなあ」
「…何でも良いから、さっさと答えろ」
「んー」
顎に手を当てたまま、清隆はしばらく目を瞑って考える仕草をしている。「どうだろうなあ」などと、一人呟く。こんなのはどうせ、ポーズだということを歩は知っていた。
はっきり言って、兄貴はマイペースなことこの上ない。すでに、様々な予定は決定済みな上に、布石も十二分なのだろう。
だが、多少の釘を刺すくらいにはなるのを願って、試しにと言ってみただけだ。
キッチンに立ち、コンロに火を入れる。まずは、冷蔵庫に残った野菜――人参と玉葱、それから半分のピーマンを全てみじん切りに刻んで、火にかけたフライパンに入れる。
兄に言われるまでも無く、何となく卵を発見した時点で「オムライスにするか」と、決めていた辺りは、血の繋がりというか、行動を読まれたようで腹立たしいというか。
不意に清隆が席を立ち上がり、どこかしらに電話をかけ始める。デジタルなプッシュ音。かけている途中で、今思い出したというように電話口を押さえながら、背後の歩に声をかける。
「ああ、歩。昼は兄ちゃんも食べてく気だから」
「…食ってくのか」
フライパンを返しながら嫌そうに呟く歩に、
「当然だ!兄弟の絆を深めようと帰ってきたんだからな」
さも当たり前な顔をして力説する。そんな清隆に、歩は「…里心はどうしたんだよ」と、小さく突っ込みを入れた。
その後も、彼は家の電話から次々と浅月やラザフォードやカノン、竹内を電話で呼び出したりしていた。
「弟さん!」
ドアを開けたとたんに、小さな塊が飛び込んできた。
「おわっ!」
避け損ねて、腹に受ける衝撃に、思わずうめき声を上げる。小さな塊――この呼び方は、ブレードチルドレンの竹内理緒だ。
「はわわ、ゴメンナサイ…じゃなくて!――清隆様が!」
「…ああ、兄貴なら」
向こうに、と言いかけたところで、ダイニングの方から「やあ、理緒。早かったな」と声がかかる。呼ばれた当の本人である清隆が、楽しそうに壁に背を預けたまま立っている。
「理緒っ!」
バタバタと足音を響かせて、赤い髪の間抜け眼鏡が玄関まで駆け寄ってくる。そんな彼の姿を目に留めて、そういえば、下駄箱の脇の方に、浅月のものらしい靴と女物の靴が綺麗に並べて――当然、綺麗好きな歩が揃えて置いたのであるが――置いてあるのに気づく。
その後に、遅れてひよのがやってくる。
「こーすけ君!ひよのさんも!」
ちなみに、ダイニングにはカノンもいたりする。彼は、鳴海家のダイニングで、歩の淹れた紅茶を飲み、まったりしていた。
遅れて最後にやって来たのは、アイズ・ラザフォードだった。彼は、相変わらずノースリーブと、寒そうな格好をしている。
「ラザフォード…やっと来たか」
と、やはり彼についても清隆が迎え入れた。
玄関口に出て扉を支えている清隆を、アイズは少し邪険そうに見上げる。
「…ラ、ラザフォード?」
そんなアイズを、歩は指を刺しながら不思議そうな顔をして見つめた。それもそのはず――
「お前、今日演奏会があるって…」
新聞に、とそう言いかける歩に、アイズは至極冷静な顔で返した。
「キャンセルした」
「…勝手だな」
「そうだぞお」
と、呼び出した本人がわざとらしく同調する。
「そんな日もある」
「…邪魔する」そう言って靴を脱いで部屋に上がる。丁寧に玄関脇で靴を揃えて置くあたりは、育ちの良さというヤツだろう。
スタスタとダイニングに歩いていくその背中に、歩はポツリと呟いた。
「…良いのか、それ?」
「ああ、そういえば…」
歩の溜息を遮るような形で、清隆が口を開く。ぽんと手を打つのが見える。
「冷蔵庫に食材とかって揃ってるか?歩。…多分、昼食は皆、食べてく気だぞ。……なあ?」
清隆が部屋を振り向きながらそう、声をかけると、
「「「「「(そりゃ/まあ)当然(だな/です/でしょ)」」」」」
という即答がブレチル+恐怖の新聞部部長から返った。(ちなみに、ブレチルの面々は対清隆・作戦会議中にも関わらず返答した)一切の迷いなし。彼らには、「ご飯時に人様の家にお邪魔するなど迷惑では…」という考えは存在しない。むしろ、ご飯時に伺う気満々だ。
「…て、ことは俺が作るのか?七人分?」
呆然として呟く。歩が物凄く嫌そうに眉を顰める。
何だか自信満々な六人を尻目に、足早にキッチンに向かい、冷蔵庫の中身を確かめる。が、やはりどう考えても七人分の材料は無い。大体、今朝は簡単なもので済まそうと考えていたくらいで…。
「……」
思わず、しばらく無言で途方に暮れてみたりもする。
(…仕方ない)
溜息を吐いて冷蔵庫を閉じようとして――
「あら。これは、ちょっと食材が足りないかも知れませんね」
「――どわっ!」
立ち上がりかけた歩の背後から声がして、思わずビクリと肩を大きく震わせる。声の主は、言わずと知れた情報通。恐怖の新聞部部長。
「…勝手に人様の家の冷蔵庫を覗くな」
気が付くと横に回られ、じっくりと冷蔵庫を覗かれている。内心焦りながら、冷静な顔で冷蔵庫の扉を閉める。そんな歩の表情など気にも留めないというように、ひよのがパタパタと手を振る。
「まあ、そんな堅いこと言わずに。私と鳴海さんの仲じゃないですか」
「…どんな仲だ。」
相変わらずニコやかな笑顔に言われて、脱力する。その背中に、食器棚から人数分のコップを取り出しながら、清隆が声をかける。
「歩、やっぱり無さそうか?食材は」
「ああ」
嘆息しつつ振り返る。フローリングの床に手を付いて、ゆっくりと立ち上がる。「…しょうがないから、今から近所のスーパーまで買いに行ってくる」そう言いながら、わしわしと頭を掻く。
「そうか。…なら、私が付き添いを――」
「――いえいえ」
いかにも面倒臭そうに言う歩に、相変わらず朗らかな笑顔を保ったまま言いかける清隆を遮って、ひよのが「待った」の手の形のまま声を上げる。
三人で作る三角形の頂点の位置に居るひよのを、歩と清隆がまじまじと見つめる。
「鳴海さんのお兄さんはお家でのんびりくつろいで居てください。…僭越ながら、私が鳴海さんの付き添いをさせて戴きますから」
「そうかい?」
「…おい、そこであっさり引くな」
ちなみに、この時点で気づいたブレチルの参戦は、清隆の一言で――すなわち、「お前らと行くと、歩、帰って来れなさそうだからな」という一言で却下となった。
「女の子だからな。あまり重たいものは持たせないようにな」
玄関に見送りのために(何故か)全員集合しながら、清隆が歩に声をかける。
「それって、付き添いの意味ないんじゃ…」とかいう歩の呟きは、見事潰された。
歩とひよのの買い物(ノーマル)→
その後(清隆×歩)→ 後編
2004-7-10
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