買い物のひととき

 

 

 

 

「――っくしゅん」

 

 スーパーに入った途端に、何やら鼻がムズムズする。背筋を走るのは、ちょっとした寒気。無駄に強い冷気に当てられたのか、小さなくしゃみが漏れて、それに、辛うじて寸前手を当てる。

「風邪ですか?」

 隣から、おさげ娘がさほど心配したとも取れないような声で聞いてくる。

 そのままひょこひょこ動いて、顔を覗き込まれるが、それに応えてやる義理も無い。無言で辺りの食材を見回すと、赤や黄色の目立つ紙に乱暴に書きなぐられたような文字をいくつか発見する。

 『キュウリ一本50円』『玉葱一袋200円』『ウインナー2300円』…

 オムライスに付け合せるおかずについて思案を巡らせる。安売りの内容と、栄養の兼ね合いが大事だ。

店内を一巡して、生鮮コーナーを抜けた先で、卵のパックをかごの上にそっと乗せる。何となく斜めを振り返ると、ひよのの顔にはキラキラとした笑顔が浮いているのが見えた。目線の先には、デザートケーキ。

げんなりした気分で見ていると、歩の視線に気づいた彼女が、不意に手招きするのが見えた。

「……何だ…?」

 わかりきった問いかけを口にしながら、半ば嫌そうにチラリと目線を走らせる。

 

(…315円……高い)

  思わず眉を寄せる。

 おまけに、何の割引もついていないではないか――そんな主婦感覚の発言を考えている辺りは、もう立派な家政夫だという真実に、おそらく歩は気付いてないかもしれない。

「――コレ、買ってください!」

 そんな風に拳を作って力説されても、到底頷けるものではない。

 歩はワザとらしく大きな溜息を作って、早々にそこを立ち去ることで、勝手にかごへ入れられないようにガードする。

「自分で買え」

 背後に向かって呟いて、スーパーの店内を横に二分する中央の通路を通って再び入り口付近の生鮮売り場へ。その後から、不機嫌そうな声がついてくる。

「良いじゃないですか、一つくらい〜」

「…そう言うなら自分で買え」

 ダメ押しに、もう一度同じ台詞を繰り返す。

 その一方、ひよのはひよので、膨れっ面のまま小走りで横まで駆け寄って来て。

「何言ってるんですか、人に買ってもらうから良いんじゃないですか!」

言うことにかいてこの台詞。しかも、堂々と腰に手を当てて「何当たり前なことを」というような顔で笑っている。そんな彼女に、歩も思わず脱力する。

「…あんたなあ…」

 投げかける言葉にも元気が出ない。

 

「大体、あんただって財布くらい持って来てるだろ?」

「そりゃあ…念のためには持ってきてますけど…」

 そう言って頬を膨らませるひよのの肩には、小さなショルダーバックが掛かっているのが見える。せいぜい財布と携帯しか入らないんじゃないか――そんな風に思わせる程の青い小さな鞄だ。

「だったら…」

 さらに言い募ろうとする歩に、ひよのが大げさに溜息を吐いたのが見えた。それは、いかにもガッカリしたといった風で。

 

「…しかたありませんね」

 

それから、「こんなことでムキになるなんて、大人気ないですねえ」とか何とか愚痴愚痴呟いて。

自身の鞄の中身を漁りだす。暫くすると中から、(何となく、がま口が出てくるんじゃないかと思っていたが)真っ黒な皮製の、パッと見、お洒落な財布が出てきた。

 それを見て、歩はほっとして肩をすくめる。

 財布の中身を点検しているらしい彼女を尻目に、次々とかごの中に特売品を放り込んでいく。硬くて重たい物を下に、柔らかくて軽い物を上に――

 この場合、カートを使わないのは、いわゆる主婦の知恵のようなものだったりする。

 カートを使ってしまっては、どれだけ商品を入れたとしても重さを感じないため、買い過ぎをしてしまうのだ。その分、かごは重さが直接腕に掛かる。

「うわー…鳴海さん。コレとか美味しそうですよお」

 と、鮮魚コーナーで金銭感覚オンチが手を振っている。財布はもうしまったらしく、その手にはブラックタイガーの冷凍パックが握られているのが見えた。

「…そんなん、何に入れるんだよ」

 近付いて声をかけると、自信満々な表情で

「サラダにでも」

 という発言がなされる。

 

(…高いサラダだな)

 

 確かに、小口切りにして油で炒めたものをサラダに掛けるという料理も無くはないが、――現在、家にいる全員分を作るとすると少々値が張ってしまうだろう。

「――却下だ」

 「…せめて桜海老にしろ」手にしたブラックタイガーの冷凍パックを棚に戻させながら、代替案を出す。乾物のコーナーから、お徳用のそれを取ってきて、新たにかごに入れる。

 しぶしぶそれに従いながらも、ひよのが後ろについて来ているのが見える。

「あ、これなんかどうです?鳴海さん」

 と、後ろから何度か声がかかるが、ことごとく却下を決め込む。そのため段々、ひよのの表情が不機嫌に傾いていくが、全て言うことを聞いていては大変な出費だ。

 それから、何の気無しに――歩はめったに見ない惣菜コーナーを一瞥し、冷凍食品コーナーを通り、他の一般客の流れに乗って卵売り場の前まで来ると、ひよのがそっと一つの棚に近寄ったのが見えた。どうやら、目的は先程のデザートケーキだ。その内のチョコの乗った物を取り上げ、ようやくにっこりと微笑んでいる。

(…そんなに食いたいモンか?)

 思わず首を傾げる。出来合いの物は、何だかパサパサと乾いているようで、個人的にはあまり好きではない。そんな歩の考えとは関係なく、誕生日ケーキでも捧げ持つようにしながら、ひよのが笑顔で近寄ってくる。

丁度その時、歩の背後から、あまり嬉しくない会話が聞こえた。

 

 

「まあ…可愛いカップル」

「…本当ねー。女の子も男の子も可愛くて…」

 

 

 振り向くと、ご近所の主婦同士らしい二人組みが、こちらを見ながら目を細めている。口元に手を当ててはいるが、まず間違いなく発言者はこの二人だろうというのがわかった。

 辺りに小さく目配せをするが、その発言を受けるべき人選は、自分達二人の他にこの場にはいない。

(…可愛いって…)

 どちらにしても気に入らないその台詞に、薄く眉を寄せる。

 そんな歩の様子を知ってか知らずか――まあ、当然のごとく知っているわけだが――ひよのが嬉しそうな顔で擦り寄ってくる。

「…何だよ」

 顔をしかめて睨めば、ひよのは歩の様子など構わず、例の主婦二人組みににこやかに手を振っている。「ふふふ」とらしくない笑い声に、さっさとその場から踵を返すと、ひよのがサンダルの音高く追いかけて来る。

「私たち、可愛いカップルだそうですよー」

 そのまま横に並ぶ。彼女の手にはデザートケーキ。

「勘弁してくれ…」

 笑いかけられて、歩は思わず頭を抱えた。――嫌な頭痛がする。

 

 

 

 昼の混雑時らしいレジに並ぶと、ひよのが大人しくその後ろに並ぶ。すぐにその後ろにも、カートを満杯にした主婦が並んだのが見える。

 どかっ――という音と共に台の上に置いたかごの中には、玉葱、レタス、桜海老、鶏肉、卵――…一つ一つ確認をしてみる。

(…大体、1200円くらいか?)

 レジを通る前に、おおよその合計金額を算出する。こうしておくと、会計の時に楽だ。

「次のお客様、どうぞー」

 声をかけられてかごと一緒に前へ移動する。

 素早い動作で、かごがレジの脇に据え付けられる。その中から商品を取り上げたレジの女性が

「…が一点、鶏肉が一点…」

 と、反対側のかごに商品を空けていく。

 レジスターのデジタル画面を横目にしながら、財布の口を開ける。少々使い古された気味の黒の皮の財布だ。キーホルダーや鍵を付けるためのフックが多めに付いているのが重宝している。

 ふと、その時違和感を感じて顔を上げて――

「…デザートが一点…」

 無情にも、目の前でデザートケーキのパックがレジを通り過ぎたのが見えた。

 

 「あ」

 突然発せられた声に、レジの女性が驚いて一旦手を止める。慌てて振り向くと、ひよのが悪戯の成功した子供のように微笑んでいるのが見えた。

 その表情にカチンと来て。「――ちょっ、あんた!?」と文句を言いかけて。

さらにその奥で、後に並んでいる主婦の姿が目に入って、ピタリと止まる。その様子は明らかに不機嫌そうで、二人のやり取りを見ながら、「迷惑は御免よ」――もしくは、もっと即物的に「早くしてちょうだい」・「順番変わってよ」というような顔をしているのが見えた。

 無言ながら、――いや。こういう時、オバちゃんたちは無言だからこそ怖い。ちなみに、集団だともっと怖い。それこそラザフォードたちとは違う圧迫という奴だ。

「……後で払ってもらうからな…」

 こっそりと呟いてみるが、それが果たしてこの相手に可能かどうか。横目で睨むと、頬に手を当てて首を傾げたのが見えた。

「うーん…どうしましょうかねえ…」

「――オイっ!」

 そうこうしている間に、一定のタイミングで電子音鳴り始める。レジは再び、淡々と機能を回復していた。

 

 

 

                                                        

 

 

 

 ひよのはそっと隣を歩く少年の横顔を見上げる。

 年は一つ下のはずだが、自分が童顔なためかそうは思われない。先程も、近所の主婦らしき二人組みから「可愛いカップル」との評を得たばかりだ。

 彼の手にはレタスや玉葱等の本日の食材にプラスして、自分の買ったチョコのデザートケーキが入っている。それを思い出すと、何だか顔が笑顔に歪んだ。

 スーパーの入り口を抜けると、外気がとても熱く感じる。じっとりとした湿気に混じって、アスファルトからの熱気。

 それでも、そこから数十メートルくらいはまだこの涼しさを継続できるはずだ。これで、あと一つの願いが叶えばこれ以上は無い。

 傍らを歩く少年は、車道側の右側。また、彼は右手に大き目のスーパーの白い袋を提げている。一方、ひよのが歩いているのは左側だ。

 

(…空いてるんですけどね)

 

 こっそりと、彼の指先を眺める。

 その昔、天使の指先と呼ばれた――そして今でも確かに美しい手の先を。

(空いてるんですよ?)

 彼の手から目線を外す。それから、自分の右手をじっと見る。何となく「むー…」と小さく唸って。

「…おい、どうしたんだ?」

少しばかり歩みの遅れたひよのに気付いて、彼が振り返るのが見える。相変わらずの無表情で、荷物が重いのかどうかすら顔に出ない。その顔に、ちょっと困ったように微笑んで――

「……――何でもないですよっ!」

 叫んで駆け出す。

 

 何も気付かない彼に、ほんの少しの悔しさを感じながら。

 そして…。

 

 

 そんな彼に、精一杯の愛情を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

一期一会(後編)

 

 

 

 

 

 

※後書き

 …どうせね。ひよのちゃん書き慣れないさ。

 ノーマルカップリングだけど、どんなもんでしょうか。ひよのちゃん…らしくない気がするー(汗)。あゆ君も微妙―。

 感想お待ちしてます。

BY  dikmmy

  Last up date:2005-07-18

 

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