「俺と来るか」と。そう言って。
おずおずと伸ばされた手は、予想通り酷く細く小さなものでした。
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少年――ツナを小脇に抱えて隠れ家まで戻ってきたのは、夜も更けた頃でした。
時間としては、いつもより少し遅いくらいでしょうか。盗み(しごと)としては、いつもよりさして掛からなかった程なのですが。
リボーンは、帽子を取って、深い長い溜息を吐きます。
長い道のりを、それなりの速さで走ってきたはずなのですが、額には汗一つ浮かんではいませんでした。肩の動きに合わせたように、黄緑のカメレオン、相棒のレオンがペタシペタシと歩いて肩から這い下ります。
一方で、当のツナは、振動が丁度良かったのでしょう。小脇に抱えられるという不安定な姿勢にも関わらず、小さな寝息を立てていました。
緩んだ寝顔と、腕に伝わる子どもらしい、少し高い体温。
だらんと体中の力を抜いて、全て預けきったような体勢です。
よく見ると、どちらかと言えばツナの方が汗をかいていた形跡があるのですが、これにはちゃんと訳がありました。
さすがに彼としても、人間を連れ去ったことは今まで無かったので、どうしていいのか、正直わからなかったというのが正しいでしょう。
というのも、途中まではリボーンは、ツナを一緒に走らせていたのです。
人並みの体力、人並みの瞬発力を少年に期待していたことも、後あとで考えるなら失敗でした。
この寒空の下、わずかな時間ですが警官隊から隠れるように、足音を忍ばせて並走させて――
結局、そのあまりにもな鈍臭さに、リボーンの方が根を上げたのです。
石畳に足を取られる。道を横切る何か(よく見ると猫でした)の目が赤く光ったと言ってはビクつく。夜道が怖いと言ってはベソをかく。そんなのは序の口でした。
だから、何であそこでコける!
だぁっ!遅ぇ!
何も無ぇトコで、転ぶんじゃねぇ。このダメツナが!
思わず十数分前のことを思い出して、こめかみをヒクつかせます。
この瞬間、リボーンがツナを鍛えなおすことを心に決めたのは、言うまでもありません。
玄関脇の帽子掛けに黒の中折れ帽、ボルサリーノを引っ掛けると、足音高く室内へ。
その足元で、珍しいものでも見るように、かの相棒が、目をキョロリと回しました。
玄関を入ってすぐ右がトイレ。その隣が、水周りでそろえたバスルーム、キッチン、ダイニングルームと続きます。
反対側の左は、サイズの違う2部屋と物置。
実のところ、その他にも物置の中にある隠し階段から通じる屋根裏部屋もあるのですが、日常的に使っている部屋は、手前の1部屋だけでした。
明かりも点けない暗闇の中を迷わず進み、その部屋のドアをガチャリと開けて、室内へ侵入します。
小脇に抱えた荷物をベットに下ろすと、自身もその端に腰掛けました。
荷物――ツナは、よく眠っているようです。
くーくーと小さな寝息を立てる、その馬鹿みたいに細い背中を見つめて、リボーンは、どうしたもんかな、と軽く首をひねりました。
ふわっふわの猫っ毛、折れそうに細い手足。もともとの肌の色なのか、白人のように青白い程ではありませんが、薄黄味がかった、少女のように白い肌。先程まで開いていて、ころころと表情を変えた瞳は、不思議と薄い琥珀色だったのを覚えています。
おずおずと伸ばされた手は小さくて、冷え切った手をしていて――
リボーンはどこか煩わしげに、落ちてきた前髪を掻き上げました。
(…コイツ、絶対馬鹿だろう)
断定します。
当のツナは、そんなことはつゆ知らず。背中を丸めて、のん気そうに寝返りを打つのが見えました。
その姿を見つめて、すぅっと目を細めます。
彼のすぐ傍についた手が、ぎしりと小さくベットをきしませました。
馬鹿。それは確かにそうでしょう。
彼は首肯します。
それは、目の前の間抜け顔した寝姿から、というだけでなく。
ひととき前のその行動が、もうすでにそのことを表していました。
何せ、たった一度きり、たとえ誘われたとはいえ(あるいは多少の命の危険があったとはいえ)、あんなにもあっさりと彼の手を取ったのです。
そのことは、少なくともリボーンを驚かせるには十分なことでした。
仮にも彼が、何か盗って帰ると決めた以上、結果は、たとえツナが嫌がったとしても、同じだったでしょう。それはあらかじめ決められたものでした。そのことに不思議は何もないのです。ただ、少年が――ツナが、自らの意思で手を伸ばしたこと。そのことが、リボーンを困惑させました。
先立って、黒光りする拳銃を見咎めたツナの目が、揺れたのを見逃したわけではありません。
少年の線の細い指を受けたのはあの、恐れられているはずの。我ながら決して気のいい泥棒とは言えない自分の手。それはほんの数秒前まで、人を殺す道具を持っていた手でした。
その手が、しっかり離れないようにと、彼の手を取って。
冷やりとした指先には、軽いしもやけか。
彼は薄く眉をひそめました。
お前は鳥頭かと、逆にリボーン自身、心配になるほどです。
見目も含めて噂話には事欠かないリボーンでしたから、事前に大人たちから、話のひとつにも聞いていたことでしょうに。
それを、あんなにも簡単に。
それを馬鹿と言わずして、何と言いましょうか。
また、少年のソレは、一旦誘われたフリをして逃げる算段を打つような、そんな小器用な真似をするには、どうみても運動神経が皆無でした。
思考が深く沈み始めた頃。
ペタシペタシ。
聞き覚えのある音が耳に届きます。
顔を上げると、部屋の入り口に4つ足の、黄緑色の体躯。長い舌が、にょろりと覗いていて。
かろうじて後方の窓に昇る半月が、そのぬめりとした体を照らしていました。
「…レオン」
相棒の名を呼びます。
ようやく部屋の前までたどり着いた相棒が、開けておいたドアの隙間からつるりと滑り込みました。
そうして、部屋の中央まで入ってくると、まるでリボーンの真似をするように、可愛らしく首を傾げます。彼を見上げる、まん丸とした大きな目。口先からちろちろと覗くピンク色の長い舌が、構って欲しいというように足元で揺れていました。
思考をぽいと脇に捨て去って立ち上がります。
スプリングが鳴って、ツナが何か呟くのが聞こえましたが、リボーンは、この瞬間、無視を決め込みました。
それは毛布に顔を押し付けているせいか、くぐもった声。小さな、聞き取れもしないうめき声でした。
おいで、と手を伸ばすと、どこか嬉しそうに小さな黄緑色の手を伸ばしてくる相棒に薄い笑みを向けます。
抱え上げ、人差し指でもって喉を撫でてやると、レオンがまるで笑うように目を細めたのが見えました。
(2007-09-17)
2007-10-07最終更新
変えすぎでマジごめんなさい。(コレで5度目くらい。多分ラストですんで;)