確かに愛は、そこにあったんだ。

 

 

 

 

 

 

ひとりぼっちの月

 

 

 

 

 

その時そこに何があったか。

当事者で無いあたしには、何も言いようがないけれど。何ていうか、当たり前のように知らないことがあるのと、きっとそれは一緒で。子供の方が、感覚優れてるとかいうから、もしかするとそのせいなのかもしれないけども――それでも今、あたしだけが知っているんじゃないかなんて、そんな風に思うのは、もしかして自惚れているとかそんなだろうか。

 

 

「…それは嫌かも」

 なんて、一人で空を見上げて呆けながら呟く。その姿は、あるいは他人から見たら、物凄く間抜けかもしれない。

 すのこに出て、月を仰いで、お茶をズズズと音を立ててすする。その音が耳の奥に変に木霊すくらい、目茶苦茶外は静か。時折、どこか遠くでバイクの音。夜間だって、ある程度の時間を過ぎれば静かになるもんだ。

 お茶請けに台所から貰ってきた、ストラウスとは別のケーキを突きながら、思考の回路を先程の状態に戻す。

 

 

 

――例えばそれは、1千年も昔の話。あたしの生まれるずっと前の話。

寝物語に母親から聞いた、御伽のような国の話。知っているのは大まかなストーリー。『昔々、あるところに王様が居て』なんて、夢のような、そんな簡単な話。きっと凄く簡略化されたものなんだろうと、いつからかは思っていたけれど。

はっきり言ってあたしは史実なんかは全く知らなくて。悪いけど、あの国の歴史なんか、ちっともわからなくて。

かといって勉強しなかったとかっていうと、そんなわけでもなくて。

仮にも一応、幼い頃に、やるにはやったけども、それはあたしにとって、聞いた話でしかないってだけ。

――それはもう、ストラウスから教えてもらった「月の向こうからやって来た」とかって話だって、あたしはまだ半信半疑で、実のところこれっぽっちも信じていなかったりもしたりしなかったりで。

 

 

(…だって、アレは流石にね)

 

フォークをくわえて口元でブラブラさせながら、ちょっと上を向く。この心を占めるのは上空からの、冷たくて、でも同時に暖かな光。

だってあたしはまだ、ストラウス達とは違って半世紀くらいしか生きていなくて。ずっとずっと若い記憶しかまだ持ってない、要するに経験値の足りない小さなお子様で。

先に言っとくと、別に先達の教えを物ともしない破天荒な奴ってわけでもなくて。かといって、それでも大人の言う全てを丸まま鵜呑み丸のみにして信じちゃうのは、ソレは無しでしょうって、それくらいはいくらなんでもあたしだって知ってる。

(あたしだって、伊達に、半世紀生きてないから)

そんな風に、憎まれ口を叩くみたいな感じで少し肩をすくめて。口から放したスプーンで今度はちょっと大きめにケーキを切り分ける。

(…それでも、あたしは知っていると思う)

 何だか頑固者みたいだけど、もう一度繰り返す。あたしは多分、知っていると思う。脳裏に浮かぶのは、彼とは違う金髪の美女。

あたしと同じダムピールで、名前は、ブリジット。

  おそらくはきっと――あの人が知らないことを。

 

 

 

 

 

「可愛い娘でしか無かった」と、彼女は傷付いた顔で言うけれど。彼女は、きっとこんな結果(こと)ではほとんど納得はしないだろうけれど。

――例えばそれは、パズルのように。

唯一つが大事なのではなく、組み上げていくその一つ一つがとても大切なように。

 口の中でゆっくりと抹茶のどこかほろ苦い味を味わいながら、ぼんやりと浮かぶ形容詞を並べ立てていく。語彙の足りない頭では、ピタリとはまる単語が思い浮かばないのがほんの少し残念に思うけれども。

(…そんな風に、想われてたんじゃないのかな)

 

 

つんつんとフォークの先で、生クリームの付いた苺を弄びながら、そんなことを考える。

皿を持ち上げて、視線を上げて。そうして視界に映るのは、黄金色の月。凍てついた夜を溶かす暖かな光。それは、彼が良く目を細めて見上げる視線の先。

(…きっと、今も)

根拠の無い確信でもって、一人、縁側でそっと頷いてみせる。違う場所で、今、自分も同じものを見上げながら。

彼にとっては月なんてきっと、もう、痛いだけの思い出ばかりだろうけれど。多分今は、失ってしまった昔しか、過去しか思い出せないだろうけれど。

――それでも、その中に混じって唯一つだけある変な確信。それでもまだ、未だに月が愛おしいと思えるのならば。彼が、あんな風に月を見上げるのは。

それは、もしかすると唯の偶然かもしれないけれど。

あるいは、全く別の意味があるのかも知れないけれど。

(だって絶対に、大事じゃ無かったなんて、思えないから)

 

 

目を開いて、くんとアゴを上げて。

――そうしてゆっくりと上空を仰ぎ見たその光は、確かに、彼女の長い髪と同じ色をしているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、ブリジット版はこちら

 Last2005-4-13