可愛い可愛い、ちぃ

…俺の、心の無いお人形

 

 

 

 

人形の心

 

 

 

 

 

 

ざばり――と音を立てて水から上がる。

室内とはいえ、極寒のこの国で水に浸かるのは少々勇気のいることだったかも知れないと、頭の隅でほんの少し考える。

(…そんなこと、考えてる余裕すらなかったよ)

 そっと覗く水の底には、眠る彼の主の姿。髪の毛一筋、眉一つ歪ませず、まるで本当にただ眠ってしまったような彼の様子に、胸が詰まる思いで目を向ける。

両の手を胸の上で組み、 閉じられた彼の瞼は、水底で青ざめたようにも見える。

 だが、コレが彼の棺桶にはならないのだと、ファイは知っている。

 

(いや――そんなことが出来るわけがないんだ)

 

 変に笑い出したい気分だ。水の中から、腕の力で一気に上体を引き上げる。その淵には、長い髪の少女が自分の上着を抱えて静かに佇んでいるのが見える。

 どこまでも透けるような肌の色に、猫のようにしなやかな手足。妖精のような雰囲気の彼女は、城内に転がる衛兵たちの死体と相まって、一種異様な雰囲気を醸し出しているように思う。

 彼女に向けて、いつもの調子で笑いかけると、彼女――『チィ』が少しだけ安心したように近寄ってくる。――が、足音はしない。空を飛んでいるのだから当たり前だ。

 ふわりと彼女の透けるような長い髪が、宙を舞う。自分の傍らに寄り添って、その手に持った綿毛の付いた暖かな上着を、そっと肩に掛けられる。それを受け取って、冷えた体を包み込む。

 再び目線を『彼』に向けると、それに倣うようにチィも同様に水の底を覗く。

 

「…眠っちゃったの…?」

 小さな声で問いかけてくる。

 彼女の形の良い眉が、心配そうにハの字に下がっているのが見えた。

「…うん。これしか方法がなかったからなぁ」

 そう言って頷く。上着の襟元を掴んで、自嘲気味に笑う。そうして思い出すのは、遠い昔の記憶だ。優しい、昔の記憶が自らを苛むように掠める。

 

 これ以外に、一体、自分に何が出来るだろう。

――何が、出来ただろう。

 まるで、後悔のように思い起こす。

 もっと、自分に、もしくは彼に、――『何か』があれば、こうはならなかったのかも知れないけれど。こんな別れは訪れなかったのかも知れないけれど。

(…すみません)

もう、今は本当は悔やむことさえ出来ないけれど。

 

 

 彼女から、これからどうするのか問われ、先のことを淡々と話す。まるで、自分のことではないみたいな口振りで話すのは、自分の悪い癖だ。

 相手によっては馬鹿にされているように取るかもしれないけれど。

決まっている。――逃げるのだ。一生をかけて。彼から。この世界から。今までの自分からも。

 

 そして、彼女を置いて行く。

 

 

 ――その最後の決意に、妙に心が揺らぐ自分がいる。

 自身に魔法を掛けて、体表面の水分を軽く飛ばす。それと一緒に、体温も少し奪われるのは、それは仕方のないこととして。それとは関係なく、芯が冷える心持がする。

儚げに見上げてくる彼女に、いつもの軽口の調子で、心配ないよと微笑む。彼女の、ドレスから覗く細く白い肩が、とても寒々しいように思う。

そっと安心させるようにチィの頭を撫でる。それに併せて、彼女の長い髪が揺れ、柔らかな頬が擦り寄ってくる。そんな彼女を腕の中に収めて。

(――…暖かい)

 見かけに反してとても暖かい肢体に、目を瞑る。その瞬間の目を、見たくなくて。見られたくなくて。――そして、言を紡ぐ。別れの言葉を。

 

 

「チィに頼みたいことがあるんだ」

 

 口にした願いに、「良いよ」と、あっさり彼女が頷くのが聞こえた。

「チィはファイが作ったんだから」

目を薄く開いた先には、邪気の無い笑顔。自分を信じている者の瞳だ。疑うことを知らないその笑顔を、ファイは愛おしいと思う。

(…そうだね)

彼女の変わらず柔らかな微笑みに、そっと目を伏せる。

――確かに、ファイがチィを作ったのは事実だ。生来の魔力と、後天的に手に入る知識の結合の証。その工程を、一つ一つ間違わずに思い描くことが出来る。

 しかし、そうして肯定したその先に、静かに胸の奥に、重い何かがのしかかる気がする。

その言葉に安心する裏で、反論があるように。耳の奥に、「――でも」、と幾重にも木霊する声が聞こえる。

 

 不思議に、本当に俺が作ったものだろうかと疑いたくなる。――彼女の純粋な、綺麗な笑顔を見て。暖かな頬に触れて。思うことがある。

(可愛い、チィ)

 

 

…俺が作った、俺のための人形。

(…でも、もう俺とは違うものになってるんだ)

 もし、心が、作れるのだとしたら。見えるのだとしたら。今の自分と彼女では、どれ程の違いがあるだろうか。掠りもしない程遠くにありはしないだろうか。そのことを、ほんの少し寂しいと、哀しいと思うけれども。

 こんな風に俺は、信じらるに足る人間だろうか、と自分を疑うけれども。

 熱に浮かされるように想う。俺とは違う、綺麗な彼女を。様々な感情が重なり、解けもしないまま、それでも。

――愛しいと。

 

 

 

 誰の意図でもない――もう、俺の『人形』ではない彼女を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※後書き※

数日かけてちまちまちまちま書いてたせいか、分裂気味な話になりました。…やばいっすねー。気分が一定じゃないと同じ文章書けないんだな、自分。一貫した話とか。

 いつもは5時間くらいあれば一つ出来上がるんですけどね。

 今回のは、考えて考えてコレっすよ(汗)。

 ファイ×チィの場合、まずチィの登場が初めしかないもんだから、ココしか書きようが無い。いきなりお別れの恋人()たちってえ感じです。

BY dikmmy

 

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