(クロームとツナ)
事故に遭うまで、私には何も無かった。
もう居ない、本当の親。
血の繋がらない私の両親。
目も合わない親族。
冷たい目。
冷たい言葉。
どんなに手を伸ばしても。
振り返られない自分。
愛されない自分。
目に映らない私。
それが、事故に遭って、ほんの少し変わった。
大切なのは私と骸様。
それから犬と千種。
たった3人ぽっち。
でもコレが、私の大切な家族。
でも、ボスが現れて。
あの日、あの夜、ボスと出会って。
私の世界が、凄い広がった気がするの。
大切なものが、一気に増えていった気がするの。
私が大事に思うだけじゃなくて。
大事に思われること。
大切にされること。
言葉だけじゃなくて、態度で伝わるもの。
優しい笑顔。
信じてくれる心。
信じて、ほっとする自分。
守りたいと思うもの。
全部全部。
あの時始まった気がするの。
* * *
コンコンと重厚な扉をノックする。
イタリア本部。執務室前。息を詰めて、応答を待つ。
実に1週間ぶりだ。
クロームは紙束を胸に抱いて、そっと目を瞑った。
――命令書を受けてここを離れ、渡ったのは北イタリア。
指令は、その辺りで最近キナ臭いと噂の、マフィアの偵察と情報の収集。
表向きボンゴレと親密なそのマフィアが、ボスの言うように、何か裏がありそうなのは一目でわかった。
「危ないことはしないこと」
困ったような顔でそう言い含められて頷かされ。
かといって、当然何も無かったというわけでもなく、無茶をしなかったとは言い切れなかった。
クロームでさえ、ひやりとした場面は二、三度あった。
もちろん彼女は自分の力を知っていたし、信じてもいた。手に負えないだろうと判断される物、ボスの判断を仰ぐべき物――それらには、触れずにおいた。
だが、目の前に、少し無茶をすれば何かあるはずだと、その確信が、さらにその倍あったのだ。
わずかに踏み込めば何か別の、有益な情報があるに違いないと、経験が知っていた。
少しでも役に立ちたいと、冷たい指で三叉を握り込んで、顔を挙げ。
その度に、彼の顔が浮かんだ。
思わず足が止まる。
ボスのために。
そう言って、彼を悲しませたいわけではない。自分(ボス)のために、と無茶をして、怪我をする部下を、彼は再三見てきたからだ。
仮にも命令を無視した部下を、彼は罵ったり、無下に扱ったりはしない。
病院のベットに横たわり、それでもどこか自慢げな、あるいは誇らしげな(それは、クロームから見れば傲慢な)顔をした部下を見つめ。
次いで、痛々しく巻かれた包帯を見つめ、顔を歪めて。
ただただ悲しむのだ。
寂しそうに。
見ているこちらが痛々しいと感じる顔で。
そしてそんな彼を、クロームも何度か見た。
あなたのせいじゃないのに。
そう言って、慰めてあげたかった。
――しなかったのは、きっと彼がそんな言葉では頷かないのを知っていたからで。
クロームは、そっと目を開ける。
その事後報告のために、ここ、イタリア本部に戻ってきたのは、およそ1週間ぶり。
たったそれだけなのに、もう何年も会っていなかったような気がする。
中から、了承の声。
唾を飲み、手の中の三叉をぎゅっと握る。
小さな手でノブを回し、そっと押す。良質な蝶番は音も立てずにその重量級な一枚板を開いていく。
正面には窓があって、赤々とした西日。
それよりもう少し右斜め奥の辺り。ガラステーブルの向こう。
重厚な椅子とデスクにはさまれて、小柄な影が動く。
白いスーツに、西日できらきらと光る薄い色の髪。
自然と頬が熱くなる。
彼が居る。
ボス。
ドン・ボンゴレ。
書き物をしていた書類から顔を上げて。
目をほんの一瞬だけ、驚いたように大きく開いて。
笑ってくれている。
「クローム、お帰り」
幸せなのは。
幸せだと思えるのは。
大切なものが増えていく感じ。
2007/10/13