好きよって言わないで。
06嘘でもいいから嫌いだと言ってくれたら
SIDE:火澄
最近、とみにというのだろうか、彼は良く呼び出されて、校舎の裏庭だとか、音楽室だとか、屋上だとか、そういったところに出かけていく。
大抵、十分少々。長くとも、三十分とかかることは無い。
毎度呼び出す方は人が違っていて、ソレはなかなか可愛い顔をした髪の長い子だったり、やたらに声が裏返った子が手紙を渡していったり、あるいは上級生だとか、はたまた最近自分の覚えた顔の中の一人だったり。とにもかくにも全てが女生徒で、最終的には女教師でも来るんじゃないかと、ちょっと考えたりする。
そうして、一旦どこかに行って、また帰って来ると、彼はいつも通り。澄ました顔で、まるで何事も無かったかのように教室に戻り、席に着くと手元の雑誌を繰り始める。
これは、彼のお決まりのパターン。
別に、それで何かを気取っているわけでもなく、至極当たり前に。
「ちょお、御免な」――と、名残惜しい顔で周りのクラスメイトを振り切って、彼に近付く。時計を見ると、十二時五十七分で、昼休みはあと五分も無い。
「歩」
声をかけると、彼が、窓際の席に座ったまま、ゆっくりと視線をこちらに向けたのが見えた。
「昼休み一杯、また出かけとったけど、どこ行ってたん?」
茶化してそう尋ねてみても、顔色には変化は無く、
「…裏庭」
詰まらないような顔で呟いて、鞄から器用にも片手でお弁当の包みを出し、袋の口を開いていく。中からは、今時、色彩が鈍い茶色をした、懐かしい趣の一段弁当。
「おかげで、弁当食いはぐれるところだ」
そんな風に言って、溜息を一つ。
「…裏庭、か」
唇で弧を描きながら、彼の言葉を繰り返す。人からは、『人懐っこい』と称される笑みで、
「あいかあらずモテモテやなあ」
なんて、そんなことを言いながら、彼の一つ前の席の椅子を引く。後ろ向きに腰かけると、顎の支えに右肘を彼の机の端にそっと乗せた。そうして、すぐ傍から彼の顔を覗き見る。
――あ、意外に睫毛長い、とか。
やっぱ色、白いねんなー、とか。
黙々と弁当のおかずを口に運びながら、雑誌のページを繰っていく彼に視線を固定して、何となくそんな風に観察してみたりする。
「なんや、新聞見ながら朝飯食っとるオッチャンみたいやな」
笑いながら、そう教えてやると、何だか胡散臭いような瞳で見られた。
「…なんか用か?」
そう言う動作の続きで、彼がチラと時計を見上げる。背中側で見えないが、時計はかなり切羽詰まった時刻をさしているはずだった。
それから、彼がまた弁当のおかずを一つ、口に運ぶのが見える。ぼんやりとその動作を仰ぎ見て。次の瞬間、
「…どこかの意地汚い小娘みたいに、弁当でもねらってるのか?」
彼が見当違いなことを口にしたのが聞こえ、目を見開いて、反射的にまじまじと彼の顔を見つめた。
こちらの方をチラリと不安げに見上げているその様子は、相当、新聞部の彼女に弁当を盗み食いされている経験からだろう。雑誌から一旦手を離した彼が、悪足掻き程度に、ほんの少しだけ弁当を自分の側に寄せてみたりしているのが見える。
そのことに、思わず笑みがこぼれる。
「ちゃうちゃう、ちゃうて」
慌てて、手で風を切るみたいにパタパタさせる。
相変わらず胡散臭そうな顔をした彼は、目をさらに大きく開き、
「最近、めっちゃモテモテの歩に、恋バナでも聞いたろ思て」
この台詞を聞いて、思いっきり沈黙した。
SIDE:歩
「…だから、前にも言ったやん」
呆れたような、それでいてどこか甘えるみたいな声で。
「どうして、誰の告白でも断るのか――いうて、クラスの子ぉとかに、聞かれんねんもん」
ダイニングの机に突っ伏すような状態で話しているせいか、どこかその声はくぐもったようにも聞こえる。
帰ってきてからも、それから例の新聞部の娘と三人連れ立ってこのマンションに帰る間中も、ずっとこの調子で彼は、「なあ、なあ」と言い続けていた。
結崎に関しては、何とか煙に巻いて帰らせることは出来たけれど。最終的に、問題はこの同居人の方だった。
なまじ一緒に生活している手前、無視を決め込んでみても、いつまでもこの様子が続くようでは煩わしいし、かといって、当然、無下に追い出すことも出来ない。
「なあ、何か無いん?――あ、この子可愛いなあ、とか、そんなんでもエエし…」
まるで戸口を開けてくれと騒ぐ猫みたいなしつこさで、彼が言い寄ってくる。
「…――だから、無いって言ってるだろ」
溜息を吐きながら、何度目になるかわからない程口にした返答を、再び繰り返す。トントンと規則正しく続いていた包丁の音が、最後に来て遅くなった。
布で軽く拭いた包丁を流しに入れると、冷蔵庫からあらかじめ取り出して置いたバターの一片を、温めたフライパンに流し込んでいく。その途端、辺りに広がる、香ばしい匂い。
「ええ〜っ?」
非難がましい声が背後から響いてくるが、今は一旦無視。溶き卵を同じフライパンに流し、薄く延ばしていく。卵は、焼き加減が命だ。
「…何かあるやろー?…せめて、何か一つくらい」
そう言い募る彼に、「お前こそどうなんだ」と振り向かないまま声をかける。その台詞に、彼は一瞬だけ、沈黙した。おそらくは、目を瞬かせているに違いない。
手早く薄焼き卵をひっくり返す。後はガスの火を止めて、余熱で暖めれば良い。皿に移し変え、新たに小さく切ったバターをフライパンへ。その合間に、ほんの少し彼の方を振り返ると、彼がむっくりと起き上がった様子で、こちらをじっと見ていた。
「…聞きたいか?」
彼が、何となく薄い笑みを浮かべた顔で尋ねる。それはいつもの、悪戯を思いついた、という笑顔ではなくて。そのことに、相手に気付かれない程度、ほんの少しだけ首を傾げるけれども。
聞きたいか、と言われれば、楽しいかどうかは別として――好奇心は、あるにはある。それでも、無理に聞こうとは、思わないけれど。
そんな彼のとぼけた言いように、そっと溜息を吐き、
「…言いたいんだろ?」
言葉を返し、背中を向ける。無理に聞く気は無いが、言いたいのであれば、無理にそれを止める気も無い。彼の意図は何一つ読めないけれど、話したいなら話せば良い――つまりは、そういうことだ。
先程の溶き卵を作ったお椀に、新たに卵を一つ落とし、軽くかき混ぜる。これは、二人目の薄焼き卵だ。ガスに火をつけて、再び先程と同じ作業を繰り返す。
出来上がった二枚の薄焼き卵を皿に移し、ガスの火を落とす。広いとは言いがたいキッチンの空きを確保するために、一旦皿を移動しようと、皿を持ち上げ振り返る。――ふと、そこで、ダイニングテーブルの方から彼の囁くような声が聞こえた。
「…俺も、何度か告白めいたものはされたことあんねんけどな…」
そう言いながら、彼がどこか自嘲気味に微笑んでいるのが見える。
「――めいた、って何だよ」
その発言に突っ込みをいれつつ、移動して、皿をテーブルの上に静かに乗せる。微かなその音に反応したのか、彼が、チラリと目線を上げるのが見えた。
「…冗談とかやったら、『好きよ』て言われんの、俺別に何も抵抗無いんやけど…」
彼の金色に近い両の瞳が、ぼんやりとこちらを見つめている。
その目を見返して、「やっぱり、お前こそモテるんじゃないか」、そう言いかけて――止めた。そこに茶化すような雰囲気は無く。不思議と、彼の笑顔は作り物のように、味気ないものになっていた。「…けどな」
彼が、静かに、独り言みたいな調子で言葉を紡いでいく。
「そうじゃなく言われるとな、…確かに」
確かに嬉しいけどな――と、上滑りしているような感じで、微かに苦笑いして。そうして、へたんと、急に力が抜けたみたいに、机の上に沈み込む。
「…何かちゃうねん」
顔だけはこちらに向けて、張り付いた笑顔のまま、ぽつりと呟く。「何か、不安になんねん」
そう言いながら、彼が小さく身じろぎしたのが見えた。
「…何か、焦らされるみたいで」
魂の抜けたような顔で、ゆっくりと目を伏せて。火が消えていくように、再び、ダイニングテーブルの上に広げた腕の中に顔を埋めてしまう。
その彼の頭の天辺を見つめ、
「…火澄?」
意気消沈したような様子の彼に、思わず声をかけて。――しかし、続けてかけるべき上手い言葉が思い浮かばず、結局口をつむぐ。とりあえず彼の前の椅子を引くと、無言で腰かける。
暫くして、俯いたままの態勢から、彼のくぐもった声が聞こえた。「…歩」
「…俺はじき、中身がガラリと変わって、悪魔になる」
この位置では、彼の顔は見えない。が、その声がやけに低いように聞こえるのは、俯いたから――ただそれだけの理由では無いのに違いなかった。
それは、自分自身、薄々感じていた不安。
「けど、もしかするとそっちの方が俺の本性で、…今の俺は、俺がただそう思い込もうとしとるだけで、とんだ偽者…ってこともあるかも知れん」
一言一言、区切るように話す。
その言葉を聞くたびに、自分自身、心が冷えていくような気さえする。本当の自分は、今の自分では無く、あるいは仮初に過ぎないのではないか。
今、この場で彼と向かい合っているこの心は、偽りに満ちているのではないだろうか。
無意識に眉をひそめている自分に気付く。それは、嫌な可能性だった。――その話は、彼自身のものであると共に、それを聞く、自分の身にも降りかかる可能性のあることなのだ。
「…せやけどな」
まるでそんな自分の様子を見抜いたように、彼がそっと腕の中から顔だけだして、
「…せやけど、そうなる前にー…言うて、生き急ぐみたいなんも嫌やねん」
淡々と言葉を続けるのが聞こえる。俯いたまま、僅かに彼が目を細めたのが見えた。
「それやったら、嫌いや言われたほうが、なんぼか気が楽や」
そう言って彼が、何もかも隠すみたいな瞳で、ふわりと微笑む。その台詞の意味を掴みかねて。
「あ?」
思わず疑問符が口をついて出る。表情を見返すと、彼がどこか照れくさそうに笑うのが見えた。そうして、照れ隠しみたいに小さく首を傾げるのが見え。
「これから、少しずつ仲良うなる時間が、ようさん未来にあるみたいやろ?」
――その言葉に、僅かに息を呑んだ。
(火澄)
胸中で彼の名を呼ぶ。
気付かれないように、ただゆっくりと目を見開いて。
(…気付いているのか?)
疑問を口には出さずに、無言で彼の表情を見つめる。
はたして彼は、その言葉にこもっている真実に、気付くだろうか。
(言葉の、矛盾に)
既に、近い未来に訪れるだろう死のことは諦めているのに。
未来を、その先を望むことは、何だか的外れなことのように思いもするけれど。
運命は変わらないと――そう言った彼の言葉と、行動と、それでは明らかに矛盾するけれども。
(けど)
そのことに、何となく安心する自分がいる。それは、逆説的な確信みたいに。
ようやく、彼を理解したような気がした。
(…それが、本当だろう?)
それが運命だから、と。変えることの出来ない未来なのだから、と。決してそんな、物分りの良い人間なんかではなく。
(死にたかったり、するわけじゃく)
本当に、生きることを諦めたりしたわけじゃないんだろう?
未来を手放したわけでも、生きていきたくないわけでもないんだろう?
(生きて、行きたいんだろう?)
「――だからな」
次に顔を上げた時は、彼はもう、いつもの調子を取り戻していた。ニコニコと笑う姿は、いつもの楽しげな表情に戻っていた。
「もしかして、歩もそうだったりするんちゃうかなー、思て。聞きたくなってん」
実に楽しげに、再び「なあ、なあ」と繰り返し始める。その変わり身の素早さに、思わず深い溜息を吐いて。
「…初めに言ってたことと、理由が違くなってきてるぞ」
「それはそれ、これはこれや」
半眼で軽く睨みつけると、全開笑顔で跳ね返された。「――で、何かないん?」
そう言う彼の顔は、完全に人をからかうような表情になっている。
「くどい」
言い捨てて、椅子を引いてさっさと立ち上がる。
「チェーッ」
キッチンの方へ振り返ると、目の隅で、つまらなそうに舌打ちする彼の姿が見えた。
思考を切り替えて、再び今夜の段取りを思い描く。
「もうすぐ夕飯だから、机の上、綺麗にしといてくれ」――振り向かずにそう言うと、背後から、しぶしぶ立ち上がり、広げてあったチラシを纏めている音が聞こえ始めた。
ブツブツと文句を垂れているらしいその声に、思わず笑いがこぼれる。
(…不安、ね)
先程の彼の言葉を繰り返し、空いた片手で口元を覆う。
それならば、この言葉は暫く内緒にしておくしかないだろう。
(…俺は、お前のこと嫌いじゃないよ)
そう、心の中で呟きながら、歩はキッチンへ足を進めた。
二人分の大皿を取りに食器棚へ向かう同居人の背中を見ながら、火澄は静かに、その瞳に笑みを浮かべる。
それは、先程浮かべていたような渇いた笑みではなく、心からの笑みだ。
――好きよっていわないで。
この想いに嘘は無い。無いけれど、それでも。
途端、頭の中にちらちらと浮かぶ彼の顔に思わず口元が緩む自分に気付く。
(けど)
でも、彼なら全てを知っているから。偽られたもので無い、本当の自分も。自分の、未来も過去も何もかも。その全てを理解してくれるのは、彼だと信じるから。
――運命の、相手だから。
彼の背中に、聞こえるか聞こえないかの声でそっと呟く。自身に関しひどく鈍感な彼は、きっと振り向かないだろうけれど。
「…歩やったらエエよ」
彼なら。
…好き、って。
そう言っても。
※後書き※ 両思いってより、火→←歩って感じ。両方・片思い系ね。 どっちかが言えば、両思いになりかねないですが。…ウチのアユ君は言うまい。きっと無理。ひー君に期待しましょう(ヒトゴト)。 それにしても、恋バナで何故、こんな辛気臭い話に…。 そんでもって、長いのが疲れ倍増。まとめる力が無いんだな。 ※一部修正 12月17日 BY dikmmy |
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