――新しく知る事が楽しいと思うのは、それは本来、私の癖で。

 

 

 

 

『彼』について

 

 

 

 

 

 

 

出会った頃の印象は、『変な奴』。

 

初めて会ったのは、大学の構内で。埃の浮いたような汚い食堂で、一番安い掛け蕎麦を、何だか妙に美味そうに食っている男がいて。

「…私も、掛け蕎麦を」

なんて。食堂の女性が「私…も?」と、ひどく不審そうな顔をしていたけれど。つられて自分も同じものを頼んでしまうくらいに、何だか変にその男に目が向いてしまったのを覚えている。

 

 

――当時、私は、成績優秀な学生だった。生来の気質である真面目さに加え、民俗学の勉強は楽しかった。

それ以外の他の学問についても、確かに私を楽しませるものであったが、その中でも、民俗学が私を魅了したのだ。私は資料を読み漁り、大学に通いつめた。そうして授業に頻繁に顔を出す内に、私は再びあの男に出会うことになる。

例の、『掛け蕎麦の男』。

 

彼は真面目とはいいがたい性分で、大学へはあまり来なかった。授業の半分は休んでいたかもしれない。――かと思うと、どこかしら怪我をしたような格好で、久しぶりに(出席の穴埋め用の)課題を持ってくると、その点はいつも私よりも上。そういう、風変わりな男だった。

彼は、常にどこかに怪我をしているような様子で、――それは、特に運動神経が不自由と思えないにも関わらずに、だ――噂では、何か危ない実験に付き合っているとか、家に何か問題があるとか、色々陰で言われたりしていた。

そのくせ、その人懐っこい性格が幸いしてか、人から遠ざけられることも無く、人々の中に、ほんの少し風変わりな存在として溶け込んでいるように見えた。

 

そんなある日。

 

 

 

「君は、いつも怪我をしているような気がするが…」

 

 次の講義教室への移動の途中、何とはなしに聞いてみたことがある。

私たちは、仲が良いとはいわないが、多少なり言葉を交わす程度の知り合いになっていた。

「何故なんだ?」

 

 それは、おそらく一種の知的好奇心から出た質問だったに違いない。

 確かに、彼の容姿は人目を引いた。日本人の癖に、やけに色素が薄く、瞳は薄茶で、髪は陽にあたると、まるで白髪のようにさえ見えた。

 ただ大学に来ないだけの学生なら、その他にも散々いた。どこぞの貴族崩れの放蕩息子や、そういえば最近会わないと思っていると、国許に帰って、早々に結婚し、落ち着いているような子女もいた。中には、高い入学金だけ出して、結局一度も来なかった学生もいたかもしれない。

 その中で、変に彼だけが悪目立ちをしているのは、その怪我の多さと、それに加え、不思議なまでの民俗学に対する造詣の深さから来ているように思われた。

 

 もしかするとその時の私は、授業をサボってばかりいる癖に、常に自分の上を行くような彼に対し、小さなコンプレックスを抱いていたのかも知れない。あるいは、彼の民俗学に対する知識と怪我には何か関連があるのではと勘繰り、その秘密を聞き出そうという思いからかも知れなかった。

 その質問に対し、彼はこともなげに言い放った。「…ああ、それは」

 ――自分は、妖怪を助ける仕事をしているのだ、と。

 まるで当たり前のように。

 

 

 その間私は、彼の唇が弧を描き、それからゆっくりと再び閉ざされるその様を、じっと見ていた。

 

 

 

 ――私は耳を疑った。

 一瞬、「愚かな」という言葉が頭を駆け巡る。

(…迷信などを妖怪と結び付ける考え方は、そもそも古い考え方だ)

何故、こんな男が自分よりも優秀だと評価されるのか。何故、教師陣は彼を支持するのか。それは、贔屓ではないのか。

――が、しかし、喉元に出るまでも無くそれは消滅した。

 

先程の言葉をもう一度繰り返すならば――私たちは、仲が良いとはいわないが、多少なり言葉を交わす程度の知り合いになっていた。

といっても、当時、私と彼は言葉を交わすようにはなっていたが、挨拶以上の話はほとんどした覚えが無かった。

例え同じ人物を師と仰ぐ研究室同士の間柄であったとしても、相変わらず彼の休み癖が直らなかったせいだ。

 そのため、私たちはほとんど、会話らしい会話も交わしたことが無く、例え彼が他の研究室の友人と仲良く談笑をしているのを見ようと、それは他人事に過ぎず、決して彼も、私に向かって長く微笑み続けるということも無かった。…――のだが。

 

 

 

 彼は妖怪を友人と呼び、話をする間、ずっと笑っていた。常に笑顔が絶えなかった。

 それは、自分の博識を自慢するような、卑しい高慢な笑みではなく、本当に穏やかな。ただ、大切な仲の良い友人を、普通に誰かに紹介するような。

 まるで、妖怪と呼ばれる生き物達が、本当に彼のすぐ傍にいて、いつも彼と生活をともにしているような、――それが当たり前で、幸せなことなんだと。

そんな話し方だった。

 

一気に彼は喋り続け、私はそれに口を挟む暇さえ与えられなかった。それこそ、話せることが嬉しくてしょうがないという顔をしていた。

元より、私自身にも彼の話に割り込もうという気は無く、ずっと、彼の笑顔を見つめていた。彼の様子と、彼の話に惹かれていく自分を感じていた。

実際、猫の目のようにコロコロと変わるその表情は、見ていて面白かった。

ある友人(妖怪)の姿を、最近街中で見かけなくなった、と心配したかと思うと、別の友人(妖怪)の失敗談を思い出して、笑い転げたりしていた。

もし本当に彼の友人(妖怪)がいたとして、「それなら、やりかねないな」と。こんな自分にすら思わせるような話しぶりだった。

その様子は、『掛け蕎麦を食べていた』彼でもなく、『久しぶりにやって来たと思ったら、私の成績を軽々と抜いていく鼻持ちならない』彼でもなく、初めて見る、新しい彼だった。

 

 

子供のようにはしゃいで、友人のことをまるで自分のことのように話す彼を見て、一旦は目を見張り、次に馬鹿にし、最後には、――これは何というのだろう。親近感、に近い感情なのかも知れない。

 

 

 

「…まさか、蓮見とこんな話が出来るとは思わなかったなあ〜」

 そう言いながら目元を細めた彼を、ちらと盗み見る。そのままで「何故」と問うと、彼は、

「だあってさあ〜…」

 と、言葉を濁すように笑い転げた。

 明らかに私のことで笑っているのだとわかる。それでも、その笑い方は、人を馬鹿にするような響きを持たなかった。

 

「――フンっ」

 

 何となく、ワザと不機嫌そうな顔で鼻を鳴らす。しつこい程の笑いは、それでようやく波が引いたらしい。続いて、「ああ、御免。御免」と笑いを収めながら、心臓の辺りをトントンと二回ほど叩くのが見えた。

「…馬鹿にするなよ」

 面と向かってというよりは呟くように言うと、「だから、御免って」という台詞が隣から聞こえた。

「そうじゃない」

 言いながら、反対側に顔を向ける。

 何となく、負け惜しみみたいで、彼の顔を見られなかった。

「…ふえ?」

 と、微妙に間の抜けた疑問系の言葉が耳を通り過ぎて。

 

 

 ワザと、偉そうな口調で言ってやる。それは、彼の話のせいで、いつもより一層妖怪を身近に感じている自分を、なるたけ打ち消すために。

「――私は、妖怪なんて信じないんだからなあ!一ノ宮っ!」

 

 

 

 

 

 

 

※後書き※

蓮見視点で勘ちゃん。…矢印だの『×』だの付けるのには程遠いです。

勘ちゃん視点では、多分もっと程遠いに違いない。

…ちなみに、5巻における勘ちゃんの台詞「蓮見って、本当に妖怪が好きなんだね〜(笑い)」のコマから連想して。アレ見た途端に、「蓮見→勘ちゃん」(!)を想像しました。

BY dikmmy