世界が狭いなんて、誰がいったのかな。
It’s a small world
JR
どこへ行くでもなく、フラフラとただ、交互に左足右足と動かして。無感動に、無表情に、行く当ても無く、目的地があるでもなく、ただ君だけを探す。
顔を巡らせると、一度に三、四十人分の顔や、表情が目に入ってくるけれど。
(…ああ、やっぱりいない)
と。求めたものは、そこには無いと。そのたびにいつも途方に暮れる。
最後に彼女に会ったのはいつだったか。あれは、二年前の春。
彼女が卒業し、たった一度だけ、その一週間後の放課後。部室に会いに来たことがあった。――会いに、来てくれたことがあった。
「…鳴海さんたら、相変わらずですね」
そう言って。部室のドアから、顔だけ覗かせて。
自分こそ相変わらず、どこか拗ねたみたいな、それでいてやっぱり何だか楽しげな顔をして、嬉しそうに笑ったのを覚えている。
変わらない笑顔。変わらない態度。
その様子は、卒業するその直前までと、なんら変わることのない彼女の姿だった。
「…あんたか」
と、そのせいか、自分もまるで以前のような態度で返して。
一瞬、彼女のその姿を見て、何となくほっとする自分がいるのに気付く。
今まで、何気なく、それこそ空気みたいに傍にいたときには、全く思いも寄らなかった感覚。
もしかすると、会わなかったその一週間で、何かが変わったのかもしれなかった。
それは、寒い冬の風が、ほんの少し春の陽に近付いて、暖かみを持ち出したせいかもしれないし。
あるいは、自分の知人が一度に卒業してしまって、自分も少しばかりセンチになっているのかもしれなかった。
「何の用だ」
ティーポットを持ち上げ、飲みかけのカップに半分ほど紅茶を注ぐ。その様子を、彼女――結崎ひよのが、目を細めるようにして見つめていた。
「相変わらず紅茶党ですね」
質問とは的外れな言葉を返しながら、ドアの陰から現れて、シナモンの匂い漂う室内に入ってくる。
結崎は当たり前といえば当たり前だが、以前の制服は着てこなかったらしい。長めのブーツを履き、制服に似たスカート。上は、大人っぽいカーディガンを羽織っていた。
トレードマークのお下げだけは、今も変わらないままだけれども。
その格好でよくぞ、『関係者以外立ち入り禁止』が基本の学園内に堂々と侵入できたものだと、ほんの少し感心するが――その辺りは、心配するだけ損なことに違いない。
ヒールの音が、丁度自分の座っている席の背後を通り、ティーセットの置いてある戸棚の付近まで近付くのが聞こえる。
元々彼女の城だけあって、それだけでこの部室内は生き返ったように、順調に動き出す。彼女の周りで、空気が暖かみを帯びたようにさえ感じた。
「…あんたが、まるごとティーセット一式残して行ったからな」
言いながら、一口シナモンティーを啜る。
目を瞑って、膝の上の料理の本を音も無く閉じる。そうして、独り言のように呟く。「茶葉が余ってるんだ」
――そのせいで、暇さえあれば自分はここに来て、湯を沸かし、紅茶を飲んでいるのだ。しかも好きなだけ。
誰にも邪魔されずに。
それこそたまに、自分の持ってきたクッキーなんかを摘んだりしながら、優雅な放課後とやらを、一人で過ごしてみたりしているのだ。
――独りで、過ごしているのだ。
「むう……その割には、私が置いていかなかった茶葉もありますけどね」
近くから聞こえた声に顔を上げると、傍らに立った彼女が、フォションの缶を横掴みにしているのが見えた。
不思議そうな顔で、缶を弄んでいる。
「…そのくらい良いだろ」
目を合わせないまま、子供が悪戯を見つかった時みたいな、何となく照れるような気分でそう言うと、それを見た彼女が一旦目をパチクリと開いて。
くすりと。
静かに、沁みていくみたいにゆっくりに。
「…良いですとも」
本当にふわりと。
柔らかく笑った。――その顔を、今でも覚えている。
――それこそ初恋の時のように。
ジリジリと焦げ付くような熱は無いけれど。
自分が燻っていくような、何かに急き立てられるような、そんな感情は確かに薄いように思うけれども。
これは恋のせいだったと。
茶葉が余るから、勿体ないからと――何かと理由を付けて、彼女のいない部室に通い続けたのは、別の訳があったと。
彼女に会えなくて、感じているこの気持ちの名を知ったのは、それから暫くしてからのことだ。
誰が言ったんだったか。いつ気付いたのだったか。そんなことは、もう覚えてもいないけれど。
――それは恋のせいだったと。
気付いてから、以前住んでいた彼女の住所を訪ねた時には、ありがちというか何と言うか、引っ越した後で。
今更ながら、年賀状でも毎年送っとけば良かった――なんて。今更考えても仕方ない後悔をして。酷く、後悔して。
(…世界が狭いなんて、誰が言ったのかな)
たまに、気が付くと自分はこんな、意味も無く人の多い場所に来て。
こんな、暗い気分を抱いたまま、彼女の姿を探して。探して。探して。
一日中、ただ足を動かして。似た人を見れば追いかけて、捕まえて、振り向かせて――
そうして、世界が、まだ自分の周りに広く広がっていることだけを知る。自分はその中の、ただのちっぽけな人間に過ぎないことを知る。
自分の無力さ、情けなさを思い知る。
(…だって、会えないんだ)
どこを探してもいなくて、今、どこに居るのかさえ掴めないんだ。
(また、笑顔を見たいんだ)
まだ、姿を見ることすらできないんだ。
(声が聞きたいんだ)
たとえ、電話越しでもいいから。笑い声が聞きたい。名前を呼んで欲しい。
(彼女に、触れたいんだ)
きっと、それが一番の願いで。
神様って奴が、本当にいるのなら。
――世界は広いままで良い。願いは。俺が願うのは。
ただ、どこかで再び、彼女と俺の運命が繋がっていますように。
(これって 歩→ひよの?どっちも片思い系)
Last:2004-11-21