ちょっとした好奇心で

 

 

 

 

SIDE ひよの

 

 

 

 

――どうしてもやってみたいことって、あなたには無いだろうか。

下校途中、隣を歩く彼にそんなことを質問したら、そっけない顔で「別に」と返ってきた。

 

 

自前の茶髪に、その長いもみあげの下から、これを自前とは誰も言わないだろう、シルバーのピアスが耳に光っているのが見える。全ての髪を普通にサラリと下ろしているわけではなく、かと言って特にポマードやら何やらの匂いはしないので、寝癖なのか何なのか判別がしがたいけれども、おそらく彼に限ってそんなことは無いのに違いなかった。

 

一見、特徴深い彼のその髪型も、慣れてしまえばどうということも無い。実は大分綺麗な顔や、そのそっけない態度にも、幾分かは人並み以上に慣れていると言って良い。それでも、「別に」と詰まらなそうに返すその言葉に、変に執念を燃やしてみたりするのは、どちらかと言えば自分がいけないのだろうか。

「別にって、何ですか!何か一つくらいあるでしょうっ!?」

 そう言って、両手に拳を作り力説して見せるが、当の本人は素知らぬ顔。手元のホット缶コーヒーを優雅に飲みながら、歩調は一定のままでスタスタと歩いていってしまう。

 

 

「本当に、本当に何も無いんですか、鳴海さん!」

 小走りに追いついて、横から息巻いて口を開く。鞄に付けたキーホルダーが、歩調に合わせてチリチリと鳴るのが聞こえる。

「…アンタは何か色々ありそうだな」

 ちらと横目でこちらを振り向きながら、どこか面倒臭そうにそう言う彼に、「当然です」と胸を張れば、何故か呆れたような顔をされた。そのことに、逆に溜息を吐いて。

 

「いいですか鳴海さん」

 人差し指を彼と自分の間に立て、じっとその横顔を見つめる。名前を呼ばれて、再び彼が不思議そうな顔でこちらを見たが、それについては今はまあ良い。

「怖いもの見たさ、って言葉ありますよね」

 先ずはほんの少しだけ声を潜めて、話を切り出してみる。

その声に、「ああ、あるな」と、どこか上の空で彼の返事。

 

「やっちゃいけない。失敗すると怒られるかもしれない。でもやってみたい。そういうことって、あると思うんですよ」

 言いながら拳を振り上げ、怒られた時を想定した苦悶の表情を浮かべて見せる。それをちょっとばかり演出過多と見るか、そうでないと見るかは、見る側の判断に委ねられるだろう。

「例えば!そうですねえ〜」

「俺には無いぞ」という彼の台詞をぶった切り、勝手知ったる何とやらで思考を巡らせる。

 

 

詰まらない人間のフリをするのは、彼の常套手段だ。本当はそんな人ではないのに、何故か自分だけに鈍い。それは不思議なくらいに。自信過剰な人間よりはよほど良いが、聡い名探偵の、唯一の落とし穴とも言えるかもしれなかった。

 

「…エレベーターの中にある非常用警報装置とか、火災報知機のベルとか、どっかの家の玄関のベルとかそういうの、押してみたいなあ〜とか。思ったことありません?」

 首を傾げて、明るい調子で質問すると、彼の方からは深い溜息が聞こえてくる。

「…押すなよ、そんなもん」

「大抵の人は、一度くらい押したいという衝動を持ってるもんなんです!ああ…、あのいかにも押して欲しいと言わんばかりのあの位置取りを見てください。生涯に一度は押してみたい一品です」

 そう力説して見せるが、やはり当の本人にはとんとその価値観が理解できないらしい。その合間に、関心の無さそうな顔のまま、目の前で缶コーヒーをもう一口。

その喉が鳴るのを見ながら、一瞬、思わず何か面白い顔をして噴出させてやろうかという姦計が頭の中に浮かんだりもする。が、とりあえずは、そのことにじっと耐えて。それでも、目だけはこの不満を訴えようと、瞳の位置を動かさないままで。

 

 

「…で、何が言いたいんだ」

 と本題に迫る台詞が返ってきたのは、それから暫くして。そうしてやや呆れたような仕種で、肩をすくめるのが見えた。その声に、下から思い切りねめつけていた瞳を元に戻し、彼を振り仰ぐ。

 先程の無関心な様子よりは耳を傾け、とりあえず彼としては聞く態勢には入っているらしい。やはりそうでなくては面白くない。

 

 楽しい思いつきに、我ながら笑みがこぼれるのがわかった。「それはですね」

 にっこりと微笑んで、打ち明け話の内容を口にする。今回の策に、彼の協力は必要不可欠なのだ。むしろ、彼でなくては出来ない。その自負を持って。

その最中に彼を見上げると、身長差としてはほんの数センチ程度だが――見下ろす瞳が、ゆっくりと不思議そうに見開かれていくのが見えた。

 

 

 

 

 

SIDE まどか

 

 

 

 コトの起こりは、その日の夜に。

 夜とは言っても真夜中というほど夜ではなく、どちらかというと夕方に近い夜の七時。残業の無い本日は、実に晴れやかな気分で、「さあ、今日のご飯は何だ」と足取りも軽く帰宅したわけではあるけれども。

 鞄から鍵を取り出し、玄関の鍵を開けて玄関へ足を踏み入れる。そうしていつも通りの慣れた手順で、鍵を掛け、顔を上げて室内へ声をかけようとして――

 

 不意に、いつもと違うその様子に、我知らず呆然と、その主を見上げてみたりして。靴を脱ごうと、手近な靴箱に片手をついたまま、思わず表情が固まる。

 別に、物凄い人が居たというわけではない。当然、失踪した旦那が居たわけでも、あるいはその元婚約者のご令嬢が居たわけでも、先日見たばかりの凶悪な顔をした窃盗犯やら殺人犯がたむろしていたわけでもない。それでも、何となく呆気に取られ、目が点になるような。

 

「あ、鳴海さんのお姉さん。お帰りなさい。お邪魔してます」

 そう言ってヒラヒラと手を振った人物を、まじまじと見返して、一旦どうしようかと考え込む。

 

(…いや、どうしたんだろうって方が正しいのかもしれないけど)

 はっきり言って、人付き合いが非常に悪いあの義弟が、夕食時に客を連れ込んだことなど、今まで一度も無い事態である。これは、一体どういう風の吹き回しか、それとも余程親しく付き合っているのか。思わずまじまじと、その相手の顔を覗き込んでしまう。

 

 

 ――その相手は、確かに良く見知った人物だった。

 長い髪を、二つの緩いお下げにして結んでいる、一見可愛いと言えなくも無い少女。儚いとか可憐とか、そういった男心をくすぐるようなイメージとは無縁だが、少々童顔で、若々しい、はつらつとした雰囲気を持っている。それでいて、チグハグなまでの強烈な存在感と、その手練手管は、既に部下に聞いた通りで。何気ない様子だが、決して侮れない、不思議な女の子という印象がある。

 

「今日は、鳴海さんの手料理を食べさせて戴こうと思いまして、こうしてお邪魔させて戴いたんです。あ、鳴海さんはですね、今ちょっと焼き加減が重要なポイントに来てるとかで、手が離せないらしくて」

 そう言い募ろうとする彼女の言葉を遮るつもりは無かったけれども。

 

「…結崎さん、だったかしら」

 

 顎を捻りながら、首を傾げて問いかけると、そのことに一旦口をつぐんだ彼女が、それからどこか嬉しそうに笑ったのが見えた。

「あ、覚えてくれてたんですね」

 そう言いながら、パンと両手を打ち合わせる。その笑顔は、とても可愛らしい。

「事件の関係者は、それなりに顔とか名前とか覚えてたりするから」

 彼女のそんな態度に、ようやく本来の自分を取り戻して、口元にも笑みが浮かぶ。「それに、ウチの弟殴ったあの光景は、そりゃあ見物だったものね」

 そう言って、過ぎたる日々を思い、微笑んでみせる。

 

 

実際のところ、日々犯罪者が量産され、警察署に送られてくるような状況において、いつまでも覚えているのは至難の技である。当然、覚えているとなると相当強烈なキャラクターか、あるいは印象深い事件の犯人やらその周辺人物に限られてしまうものだ。

そんな中において、彼女については現在、立派に対等に輝ける存在だったりするというのだから、誠に不思議としか言いようが無い。実のところ――もしかすると一生忘れないのではないだろうかと、そんなことを思ったりするくらいには輝きまくっている。

 

「今日の晩御飯は何になりそうかしら」

 声をかけながら、靴を脱いで、玄関に置いてある自分専用のスリッパに履き替える。動物の耳が付いたタイプのもので、これが、履くとふかふかとして気持ち良い。ピンヒールの靴を履いていた後などは、「ああ、我が家に帰ってきたなあ」と、足先から癒されるような気がする。

 合間にちらと顔を上げると、彼女が退くように道を開けたのが見えた。その様子に、「ありがとう」と応えて。

「あ、今日はですね、鳴海さんに特別頼み込んで、私の好きなものを何品か作ってもらってるんです」

 ダイニングに向かいながら、背後から聞こえる声を耳に留める。その声に首だけ振り返って、自分も軽く手を打ち合わせる。

 

「へえ〜。結崎さんの好きなものって、一体何かしら。楽しみね」

 努めて声音には出さないが、彼女の「特別な頼み込み」はちょっと不安な要素を帯びている気がするのは、ただの気のせいだろうか。

 

 

 廊下とダイニングとの仕切りを開いて、室内に居る義弟に向けて「ただいま」と声を掛ける。エプロンを付けた背中が、その声に振り向いて、「お帰り」とそっけない挨拶。普段の日常なら、これで終いである。

 

 あるいは日によって、驚かそうと、声を掛けずに背後から抱きついてみたりした日もあったり無かったり。一応、持ち前のサービス精神を発揮した結果なのだが、以前それをやったときは、半眼で睨まれたりもしたものだ。

せっかくの気配りが、不発に終わって睨まれたり、反応が無いのは、かなり空しい。義理とはいえ、姉弟は仲良く行きたいものである。

 

 背後でひよのがダイニングに続く扉をくぐり、戸が閉まる音がする。

珍しいことに――そうして本日は締めくくりとして、溜息と共に義弟からは一言こんな風に言葉が加わった。

「――ああ、義姉さん。悪いけど、今日はそこのずうずうしいお下げ娘も、一緒に食べてくらしいから」

 

 

 

後編 

 

 

 

 

 

 

長いからぶった切ってみました。