弁当を忘れた日
「…すいません。鳴海清隆の席って、どこだかわかりますか」
コンコン――と、ドアの方から小さなノック音がして、デスクワーク中の数人が来室者を気にして一旦、顔を上げる。続いてそのドアが開いて、誰か入って来る――と思いきや。
(……人が居ないぞ)
思わず怪談話なんかを思い出しかけて、「そんなまさか」と、即座に否定する。
そんな時に聞こえてきたのが、先程の声で。
子供のような声に不信を抱きつつ、書類を記入する手を止め、立ち上がる。
「…ああ、警部の席ならそこの――」
窓際にある席を指しながらドアの方を振り向いて――斉木は、数回目を瞬いた。
人が、居る。
(――いや、ソレは良いとして…)
そこに居たのは、どう見ても。
(…子供…?)
(何で子供が…?)
目を擦ってみるが、その現実はどうやら変わらないらしい。
「ああ、そうか」と、その疑問とは全く関係の無いところで一つ納得する。
(子供だからか)
立ち上がってみると、斉木の机からドアまでもの一直線上にある机は、すでに机上が見えないくらい物が積まれ、山となっているのが見える。もちろん彼の机も例外ではないが――丁度、椅子に座ったままでドアを振り向くと、その物陰に上手く隠れてしまうらしい。
――そのために、誰も居ないように見えたわけだ。
一人納得して頷きかけて、またドアの方を振り向くと、先程の子供が「ありがとうございます」と一礼し、斉木の指し示した方向にスタスタと歩きだしている。その手には、袋に入った小さめの――その子が持っていると、ちょっとした荷物のようにも見えるが――箱を抱えているのが見えた。
「…ちょっ、と待った!」
と、斉木はその後を慌てて追う。
いくら普段けなしてはいても、仮にも警部の机に関係者以外を――しかも、何をしでかすか予想も付かないような子供を近づけるわけにはいかない。
(普段、片付けてるのを見ないが、多分あの辺に重要書類も…)
「――いでっ」
慌てたせいで、近くの同僚の椅子に足を盛大にぶつけるが、それどころではない。その衝撃に、机の上に積んであった山が雪崩を起こすが、とりあえずそれらも放っておいたままで。
「アイツ等、机の上くらい片しとけよ」――とは、同じ穴の狢には言いたくても言えない。
急に駆け出した斉木に気づき、とっさに近くの女刑事がその子供の肩に手をかけたのが見えた。
ほっとして、――偶然その足元に落ちたボールペンを、持ち主の机に返してやる。
声は聞こえないが、恐らく「どうしてその席に用事があるのか」というのを子供相手にやんわりと問い詰めているのだろう。斉木は、速度を落としてその二人に近付く。
「…何なんだ、この子供は」
傍に寄り、小声で女刑事に問いかける。
二人が、警部の机と自分の間に割り込む形で並んでいるのを、少し離れて、その子供が不思議そうな表情で見つめている。
「どうやら、警部の身内みたい」
「……身内?」
「そう」
彼女が頷いて、チラリとその子の方を向く。
実際は、身長差が違いすぎて、その頭を見下ろすくらいにしかならないが――
「この子が、警部のこと『兄貴』って」
そう言って、「斉木君も聞いてみる?」とでも言いたげに目線を向けられる。
(…身内ねえ)
そっと――やはりその頭の天辺を見下ろして、顎を捻る。
記憶の糸を辿ってみれば、思い当たらないことも無い。
(そういえば、鳴海の馬鹿が、弟が居るとかなんとか言ってたか…)
「……」
チラリと、その警部の机を振り向き、その机の上に『例のモノ』があるかどうかを確かめる。以前は、確か机の上に置いていたような気がしたのだが…
机の上には、書類が山積みされていて、その他のものは見当たらない。
「…引き出しの中、か?」
「え?」
斉木の独り言に、隣の女刑事が声を上げる。
その子供も同時に顔を上げたが、考え事をしていた斉木は気づかなかった。スタスタと足早に乱雑に散らかった警部の机に近付き、とりあえず上の引き出しから順に開けようと試みる――が、
「――クソっ、開かねえっ!」
一番目の引き出しには、ガッチリ鍵がかかっているらしく、いくら揺すってもビクともしない。意外にも、きちんと机に鍵なんぞかける男だったのか――一瞬、そんな風に見直しかけるが、次のチャレンジであえなく崩壊する。
一段目に比べ、無用心にも、重要書類の入った二番目の引き出しは簡単に開いたせいだ。
(…思い切り『重要』って書いてあんじゃねえか!)
心の中で、思い切り突っ込みを入れる。
引き出しの中身は、「紙類を全て入れてみた」というような、おざなりな様子を呈している。書類の上に押された重要書類を示す判子が何やら情けない。
「ちょっと、斉木君?」
次々と警部の机の引き出しを開けていく斉木に、慌てて先程の女刑事が近寄る。
「何やってんのよ!?」
「…何って」
その悲鳴にも似た声に、引き出しの中を漁っていた斉木が顔を上げる。鋭い目で机を睨みつけ、「ちっ。無えか」と、独り言を呟く。
開け放った引き出しを全てしまってから立ち上がる。
「お前、見たこと無え?…こんくらいの写真立てに入った写真」
両手でハガキ大くらいの大きさを示しながら、尋ねる。
その質問に、彼女が首を捻るのが見えた。
「…写真?」
「おう」
頷いてから、記憶を辿ろうと、少し真空を見上げて頬の辺りを掻く。
「…そん時は、俺も興味が無かったもんだから中身までは見て無えんだが…確か、弟と撮ったとかってあの野郎が…」
そういや、羽丘がその写真を見て、妙にはしゃいでたな、――とかいう余談まで思い出しかけて。
「……ん?」
「………弟?」
と、女刑事が実に不思議そうに目を瞬いているのを見つける。
「え、嘘。…本当に?」
呆然とした表情で斉木を見つめてから、最後の「本当に?」というところで、子供の方をふり返る。それからもう一度向き直って。
「………何が言いたい」
「…え。だってっ…」
問いかけるが、何やら良くわからない言葉の途中で途切れてしまう。彼女の目線の先に居る、子供の方にふり返る。先程から、場所を少しも動かない様子で包みを抱えているのが見える。
彼女の目線は、斉木とその子供とを行ったり来たりしていた。
「?」
ついには、子供の方を向いて視線が固定されてしまった彼女を見て、斉木もそちらを向く。
(……何だ?)
首を傾げて、もう一度彼女の顔を見てから向きなおす。それから、数歩前に踏み出す。
近寄ると、やはり頭の天辺が見える。その腕には、相変わらず袋を抱えたままで――
「…そういや、そりゃ何だ」
指で刺しながら何となくそう声をかけて、――視界が止まる。
「…………お」
口から、思わず言葉が漏れる。
不意に顔を上げた『彼』と、目が合った。
見上げてくる猫のような大きな目。
全体的に色素の薄い柔らかそうな髪に、白い肌。折れそうに細い肩と、細い腕。
そして、子供特有の柔らかな雰囲気――
(…とうとぉ……?)
その見かけと合わない単語に――自分で言っておいて何だが――目を白黒させる。困惑した表情でこちらを向いている女刑事と顔を見合わせる。
彼女は、「ほらね」という様子で肩をすぼませる。
「…ああ…コレ、はお弁当です。今日、兄貴が忘れて行って…」と言う声は、斉木の耳には遠くの存在だ。
もう一度目線を戻し、思わずその顔をジロジロと覗き込んでしまう。
確かに、清隆に何となく似てはいるが、この顔は――
「……あの…?」
不躾に顔を覗き込まれて、眉根を寄せるのが見えた。その顔には、大きく「?」マークが浮かんでいる。半歩後ろに逃げるように下がるのが見える。
「…あ!…ああ…悪いな」
片手を上げて、その小さな体が逃げようとするのにストップをかける。
「…えっと…警部の……弟君…?……だよ、な…?」
実に不思議極まりないが、その一挙手でさえ見逃すまいと見つめながら確認する。
斉木の戸惑い気味の様子に、
「…はい。そうです、けど…?」
と、彼の返答も途切れがちだ。そんな感じのまま、しばし二人で見つめ合って――
(…まるで美少女だな)
気づかれないように、斉木はほっと小さく溜息をつく。
「……それで、あの。……弁当は」
「…あ、ああ!…そこの、警部の机の上に…」
差し出された袋――弁当を見て、慌てて立ち位置をズラして道を譲る。「はい」という声と共に、軽く頭を下げた彼がその目の前を歩いていくのが見えた。
彼は、その机の前に立つと、軽く眉をひそめて――慣れた手つきで本立て(が埋まっていたらしい)に数冊のファイルや何かを立てかけ、散らかっている書類を一つ所に纏め上げる。そして、そのために空いた机の上に弁当を置いた。
「…じゃあ、俺はこれで。ご迷惑おかけしました」
そう言って、二人に一礼をすると部屋の外へ向かって歩き出す。
「――あっ、ちょっと…」
その背中に、無意識に声をかけて。
「君、名前は――」
思わず昔のヒットソングに似た問いかけを言ってしまってから、ハッとして口をつぐむ。一方、彼はその言葉が聞こえて立ち止まり、目をまん丸く開いて振り向くのが見えた。大きな瞳が、さらに開かれて大きくなっている。
そして、変声期前の子供独特の少し高めの声で答えるのが聞こえた。
「……歩です。…鳴海歩」
その口元が、照れたような小さな笑みに歪んでいる。
お邪魔しました――と、出口付近で再び歩が一礼をする。その背中の後ろでドアが閉まる。
動けないまま完全にその姿が見えなくなるまで彼を見守って、心にその言葉を刻みつける。
(……歩…)
今にも何か溢れ出しそうな衝動を、自分の口元を覆って何とか押さえ込む。
(……か、顔が笑う)
体温と心拍が微妙に上がる気がする。顔が、熱い。
――最後に見せた彼の小さな笑顔が、頭の中をぐるぐる回っている。
そんな様子の斉木を、斜め後ろから先程の女刑事が――それから他のデスクワークをしていた同僚が見ていた。
「…天つ風 雲の通い路吹き閉じよ 乙女の姿 しばし留めん――…かねえ」
と、その中の誰かが呟いた。
※ ※ ※
その後、その部屋に帰ってきた鳴海清隆警部は、同僚の斉木がデスクワークの最中にも関わらず、ボールペンを持っていかにも「ボー」っという様子で虚空を見上げているのを見て――
「斉木のヤツ、一体どうしたんだ?」
と、近くを通りかかった女刑事に問いかけた。
彼女は、一旦斉木を振り向いてから、不思議そうにしている警部にやんわりと微笑む。その笑みには、「しょうがないわね」という色合いが込められている。
「天使に心を持ってかれたんですよ」
「…――は?」
どういうことだ?――と首を捻りかけて、視界の隅に入った自分の机が、何やらいつもの様子と違うのに気づく。そして、その上に整然と置かれた袋を見つけて――
明晰な頭脳がフル回転を始め、ある一つの真実を紡ぎだす。
「…まさか!」
――顔が赤くなるやら青くなるやら。
直後、彼が物凄い速度で駆けて行って、斉木を問い詰めたのは言うまでもない。
ちなみに、清隆さんの机の一番上の引き出し(鍵かかってたとこ)に入ってるのは「アユ君との写真」(複数)。
2004-?-?
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