肩から大きめの鞄を提げて、ウィンドゥショッピングならぬ、商店街のそぞろ歩き。空を見上げれば、相変わらず嫌味なくらいの晴れ渡った青い空で。雲ひとつ無い空から覘くカンカン照りな太陽。その陽光が、アスファルトをじっくりと焼いていて。
じりじりとした照り返しに、眉を顰めながら、薄っすら汗の滲むシャツの襟ぐりを開閉して風を送り込む。反対の手に持ったビニールの買い物袋が、それに合わせるようにカサカサと音を立てるのが聞こえる。
住宅街の、いつもは閑散とした通りも、さすがに休日昼間ともなれば、人の通りもそれなりで。そうして、どこか機械的に足を動かしながら、深い深い溜息。
湿気を多く含んだ風に、やや長めに伸ばした髪を弄ばれながら、そっと一人で。静かに。
疲れて、というよりはいっそ呆れて。店先で揺れる、涼しげな風鈴のその音を耳に留めながら。
――全く、世の中という奴は、実にたくましいと思う。
(何がたくましいって、その商魂が)
店のどこかで聞きなれた童謡の歌。目の端に、肉屋の柱に飾り程度に括り付けられた小さな笹を見つけながら、そんなことを考える。
彦星だとか織姫だとか、そんな架空の人物までもが、こんな住宅街寄りの商店街のささやかな販売商戦に借り出されているような気がして。辺りを見回して、小さく肩をすくめる。
ざわつく通りに並んだ店から漏れる冷房と外の熱気とを交互に肌に感じる。斜めに掛けた鞄を背負い直して、それからもう一度、パタパタと手で仰ぐ。何気なく見た腕時計の長針は、まだ午前の時を指していて。そのことに、何だか変に目が釘付けにされる。
聞きなれた七夕の歌やざわつき。人の声。話し声、店から漏れるテーマソングや呼び込み、そしてどこかで蝉の声。そのそれぞれを聞くともなく耳にしながら針の動きを、ただぼんやりとみつめて。
時間がとても長いことに、酷く驚いている自分がいて。
(…暇だから?)
瞬き一つ。空を仰ぎながら、ちょっとした自問自答。返る声はすぐに。
いや、きっとソレは違くて。
きっと、多分。一人だから。
七夕
空を見れば文句無い晴天。そういえば、今朝見たいつもの天気予報も、今日はそんなことを言ってたっけと、一人ぼんやりと思い返す。
外に出たのは、何となくの思いつきで、ただのノリで。いつものアタシだったら、きっとこんな日は天気が良過ぎて勿体なさ過ぎて、部活がなけば、誰か同じクラスの子でも誘って買い物したり、どっか遊びに行ったり、カラオケとかご飯食べにとかそんな休日を過ごしているに違いない。
(…まあ、普段は天気良けりゃ部活なんだけどさ)
そんなことを思いながら、ヒョイとズレ落ちかけた鞄を肩に掛けなおす。
今日の格好は、ぴったりとしたショートパンツに、キャミソール。それからラフな上着を引っ掛けて、髪に一つアクセント。誰かと会うわけじゃないから、それなりにその辺にあった服をとりあえず着て。上着なんかは、正に引っ掛ける、て言う表現が正しい。
肩には携帯と財布が入る程度の、小さいショルダーバック。ソレを背負いなおして、何となく空を見上げて。
「…勿体ない、か」
目を細めて無駄に青い空見上げて。ポツリと、声になるかならないかの声で呟く。
いつもならやってるだろう部活が急に休みになんかなったのは、そんなふうな部長の鶴の一声があって。
一瞬、理解出来なくてキョトンとして辺りを見回したら、何人かのその言葉に頷いた同じ陸上部の部員に、肩をぽんぽんと優しく叩かれたのを覚えている。
そうして誰か、彼氏か何かと一緒にどっか出かけるのだと言って、どこかすまなそうに、だけどやっぱり幸せそうに笑っていた、その顔を思い出す。
見上げれば雲ひとつ無い天気。空には、仲良くなのかどうかはわかんないけど、雀みたいな小鳥が並んで二羽、飛んでるのが見えて。ざわついてる辺りに阻まれて、全く声なんか届かないけど、きっと、何か話してるんだろうな、なんてそんな風に一人思ったりする。そうしてそれをじっと目で後追いながら、何でかそっと眉をひそめる自分がいて。――けれども、不意に立ち止まったアタシを避けてく人波に、慌ててまた歩き出す。
ぬるい風に顔をしかめながら、直進してくる親子の自転車を避けて。じりじりと焼け付く太陽に、アーケードの日陰に逃げ込んで、ちょっとホッとする。
駅に続く商店街は、休日だからかいつもよりも何だか人通りが多くて、余計に暑苦しかった。じっとりとした汗を背中にかいて、パタパタと手で仰ぐ。時折風に流れてやってくる、聞きなれた歌声と、何かの揚げ物の匂い。
普段ならこんなトコ、さっさと通り過ぎて駅に走ってっちゃうせいか、それ程じっくりなんて見たこともない景色が、変に遠巻きにアタシを囲んでるような、そんな気分だった。
さっき通り過ぎた花屋から漏れる冷気を背中に感じながら、炎天下の中ぶらぶらと、何するでもなく一人でそぞろ歩き。あるいは、暇つぶしって言った方が正しいのかもしんないけど。
額の汗を、ハンカチ取り出して拭う。
――正直に言えばやりたいことは、たった一つあった。
太陽睨み付けて、恨めしげに見上げる。悔しくて、口には出さない願いだった。だからこそ今、こうして何もやることがなくて。目を細めしばらくしてから、気付いて、いつの間にか握り締めていたハンカチを鞄にしまう。
さっきも言ったけど、いつもだったらこんな願ってもない休日、どっか誰かと出かけてるに決まってて。そんなアタシがこんなに地元に、しかも、めったに来ない商店街なんかに居たのは本当に偶然で。
だから。
「…あれ?」
チャック閉めて顔を上げた先。こんな人ごみの中、見慣れた背格好の人間が居て。
目が合う。
(あ、こっち気付いた)
だから、会ったのは物凄い偶然だったと思うんだ。――あの、鳴海の弟に。
※ ※ ※
真っ黒で無地で、何の特徴も無いTシャツに、ありきたりなジーンズ。ちょっと大き目の鞄を左肩から斜めに提げて、頭には大きな帽子。そんな、一見お洒落とか無縁そうな格好の割りに、それなりに似合って、そしてそれなりに決まって見えるのは、実はよく見るととても綺麗な、あの、例の兄に似たその顔のせいかもしれない。
耳に光るシルバーのピアスと、長い髪は学校で見るいつもの彼そのままで。目の前五メートル弱。
「…お」
と言ったのは向こう。
「あ」
と言ったのはアタシ。
じりじりと熱い太陽の下。お互いに見合って、どちらからとも無くその場に立ち止まる。
鳴海の弟といえば、手にスーパーの袋を提げたまま一人、大きな目をさらに大きく、それでいてぼんやりと開いてこっちを見ているのが見えて。
しばらく向き合って、人の波に押されるように数歩近づく。それはどうやら向こうも同じようで。そうして、声が届く距離、ややわざとらしいくらいニイと口を横に引いてピタリと目を据えて声を掛ける。
「買い物かい?」
腰に手を当てて白いビニールの袋を目で指すと、彼がソレをちょっと持ち上げて、中を確認するみたいに覗き込むのが見えた。そうして、「…ああ、もう終わった」そう言って、もう一度下ろす。
その横に、見慣れたツインテールの小さな影がないのをみると、どうやら今日は一人みたいだった。
「運悪く、タイムセールに寝過ごしてな。――あ、そこのスーパーが、隔週で日曜日の9時から一部の商品除いて、全品2割引なんだ。」
男子高校生の癖に、やたら詳しくそんなことを教えてくれる。
「ちょっと牛乳切らしてるの忘れてて」
そう言いながら目線こっちに戻して、肩をすくめる。「忘れると、義姉さんが怖いんだ」小さく、仕方ないといった溜息。
その姿に思わず苦笑する。なんとなく、その割りにその口元が笑っているように見えて。
「大体、ウチの義姉さんは…」そんな風に、買っていくのを忘れてしまった日の、我が身に起こった不幸な出来事について愚痴をこぼしながらも、相変わらずその目元は情けなさそうに笑っているのが見えて、その仕草に「ああ、そんな感じだね」とか何とか相槌を打つ。
何というか、想像が出来すぎだった。というか、出来過ぎておかしい。
ただでさえ義姉に頭が上がらない、逆らえないというのに、だ。前に学校で会った時の、あのズバズバとはっきりモノ言いそうな、意志の強そうな、そんな彼女の印象を思い出す。それこそ今彼が話すように、理不尽だろうが蹴りを入れられてたっておかしくもない取り合わせに思えた。それは、ついついあの義姉に甘く出てしまうだろう、この彼の性格のせいだけではなくて。
思わず吹っ飛ぶその様を想像して、咄嗟に口元を押さえる。
「そんなに笑う程か?」
という小さなツッコミは置いといて。
パタパタと首元を手で仰ぐ、不貞腐れたような横顔を見つめて、ゆるゆると目を見開く。
合間に耳に届く、聞きなれた、可愛らしい七夕の歌。そのメロディを聞くともなく聞いて。その顔を見ながらふと思う。のは微かな違和感。
(……?)
ソレは、単純に勘に近いもので。
周りに関心が無いわけじゃないけど、それが全く表に、表情や態度に出ないその様子は、一見いつもと変わらないみたいに見えて。
気付くのは、何か、小さな異変、のようなもの。
(…こんなに饒舌な話し方をする奴だったっけ)
目に見えないもの。映らないもの。
――こんなに、とっつきやすい奴だったろうか、と。
口を開きかけた瞬間に、彼ともう一度目が合う。ギクリとする。襟の辺りを前後に動かして風を入れながら、真顔に戻って目線だけこっちに戻して。
「今日は陸上休みか」
急な問いに、「――へ?」と反射的に聞き直す。体硬くして、変にちょっとつまづきながら、「え、あ」と意味を取るのに手間取って、やっとのことで言葉を紡ぐ。何だか一気に話題が飛んだような気がした。
「-―あ、ああ。こんな日だからね」
と何とかそれだけ返して。思えばその言いようは、言ってしまってから、かなり幅の広い回答だったと、後から辻褄合わないことに気付いて、頭抱えそうに慌てるけれども。
こんな日って言うのを、天気がいい日ってのだって思われてたら、ソレは相当おかしな会話なんだけども。会話自体、成立しないんだけども。それこそ後悔が先に立てばどんなにいいだろうか、ってな感じで、瞬時に色々なことに思い巡らして顔を上げて彼を見て。
なのに奴が、目の前で空見上げて、ちょっと下を向いて。普通そうな顔で、ああ、って小さく溜息ついて。
「そうだな」
あっさり飲み込んだ。
そのことに、目を見開いて、ただ驚く。
(こんな日だから)
天気が良くて、風も穏やかで。こんなに絶好の日和。いつもなら大好きな短距離走やって、汗掻いて、仲間と騒いで、馬鹿やって。ソレが楽しくて。でも、今日はそんな、部活なんてやってる場合じゃなくて。いつもみたいに馬鹿騒ぎなんてやってる場合でもなくて。
七夕だから。織姫と彦星の――恋人たちの、たった年に一度きりの、大切な日だから。
見返した顔は、いつも通りの顔で、その顔を見ながら思う。
バレンタインさえ覚えてなさそうなコイツがあっさり肯定したのが、何だか物凄い意外だった。
思わずまじまじと顔を覗き込むと、彼がこっち見て何かどこか寂しそうに笑うのが見えた。それは、ただ一瞬の。それでも、いつものただ自信がないのとは違う顔で。
(特別な、日で)
だからこそ出来ないことがあって。
だからこそ会いに行けない人が居て。
だから、自分はこんなトコに居るわけだけれども。人恋しくて、でも皆と一緒じゃなくて、だからこそこんな風にこんなトコ居るわけだけれども。こんな、とりあえず人だけは多い駅前の商店街なんかに居るわけだけども。
その笑顔の理由は、よく知っている気がした。
手持ち無沙汰、なのかもしれなかった。
一人なのかもしれなかった。
誰も居なくて。
自分を、一人にしない人が傍に。
(傍に、居なくて)
会いに行けばいいのに。そんなことを考えて、思い出す。もう一度空を見上げて、ああ失敗したな、と心のどこかで思う。空には、先程の鳥の姿はすでになく、蝉の声だけがやけに響いている。
――失敗した。
情けない気分で、ぽりぽりと頬を掻く。
だってソレは、アタシにも言えることだった。
亮子は、理緒とあゆ君が付き合ってるの知ってる設定で。
今回のコレ↑は、文章が変だ変だと思いながら 、中々直し方が思いつきません。(文章一部変更:2006/04/01)