ダウンロード

 

 

 

 

 

 

 

「ひよのさん。弟さんのデータ、くれませんか?」

 静かに、けれども躊躇わずに、コンコン、と部室のドアをノックして。そうして、前述の台詞を口にしながら室内に入ってきたのは、竹内理緒という名の少女。

 最近辺りで頻発する事件がらみで知り合った、加害者であり被害者という、難しい立場の彼女は、その実、月臣学園に在籍中の、自分と同じ第二学年の生徒である。

 

 

 ふわふわと砂糖菓子のように柔らかい雰囲気に、ちょっと突けば泣き出しそうな頼りない笑顔。彼女の背は、さほど高いとも思わない自分の身長をゆうに下回り、細い手足は、それこそ幼女のようでもある。

 しかし、その外見とは裏腹に、瞳の奥に、いつまでも消えることの無い炎がチラチラと燃えているような、そんな人間であることを知っている。

 その様子は、一見しただけではわからないが、今日に限ってどこか、いつもの彼女と違うようにさえ見えた。

 

「あら、理緒さん」

 パソコンの画面から顔を上げて、ノックをされたドアの方を振り返る。ドアは開いていて、その前には、いつも通りに笑顔を浮かべた理緒の小さな姿が見えた。

「どうしたんですか、急に」

 

 先程、ひたすら打ち込みを続けていたキーボードから手を離すと、四つの足先にローラーの付いたパソコンデスク専用の椅子を滑らせて、向きを変える。問いかけは、二つの返答を期待して、だ。

「…何かあったんですか。それとも、これからあるんですか?」

 片手で正面の机を指し示しながら、にっこりと慎重に微笑みかける。背後では、いつのまにかマックの画面が、可愛らしい猫のスクリーンセーバーに変わっていた。

 

 

 片手で、今は空いている席の方に彼女を促す。その問いに、理緒が、

「そうですね」

と、どことなく言葉を濁した様子で、入り口に近い方の椅子を引いて座るのが見える。

何気ない動作。しかし、考えようによってはその中にいくつのトリックや思惑があるか知れない、底の見えない行動のようにも見える。無言で両手を組み、しばらく、そんな彼女の様子をじっと観察する。

そうして再び、しっかりと彼女と自分の目線が合ったのを確認すると、重々しい調子で口を開く。

 

「私に言うってことは」

話しながら、彼女の大きな明るい瞳を覗き込む。

「依頼、と受け取っても…?」

 商売用の、含みのある笑みを口元に湛えつつ、そっと首を傾ける。ほんの確認程度にそう尋ねると、相手も、その柔らかな雰囲気の中、瞳だけが一瞬、キラリと邪に光ったような気がした。

 

「勿論です」

 そう言って、いつもの顔で、理緒がすうっと目を細くするのが見える。それだけで、あの幼げな表情は姿を消し、例えるなら燃え盛る炎のような――灼熱の赤へとその印象を変える。その様子は、思わずこの自分ですら、その変わり身の見事さに一旦目を奪われる程で。

 

 

 商売に置いて、弱みを見せることは即負けに繋がる。底を見せること、付け入る隙を与えること、それらは、わざとでなければ相手に勝ちを呼び込む要因にしかならない。常勝を望むのは出来過ぎだが、無駄に負けを選ぶ気は無い。一拍置いて、思考を切り替える。

 

「…松竹梅がありますけど」

商談に入るこの台詞を口にすると、彼女からは、間を置かずに返答があった。

「松で」

 答えは迷わず一番。

 その瞳には、英知の光。

 揺らぐことの無いその表情は、いっそ気高くさえ見える時がある。その瞳を見返して、言い慣れた確認。おそらく――いや絶対に、こんなものでは怯みはしないだろうけれど。

「高いですよ?」

 これは、一応の確認だ。はっきり言って、料金については、程度の低い探偵より余程高利だと言われている。腰の弱い人間ならば、それこそわかっていても、態度に変化が表れたりもするのだが。

「知ってます」

 炎のような瞳は、しかし同じく内側から来る鉄壁のディフェンスによって、内情をチラともこちらに伝わらせない。その様子は、初めて会った時からほとんど変わらないのだけれど。

 

 ――それでも伝わるのは、それだけ本気だということ。真剣だということ。何に、と聞くのも野暮なことだ。

(…告白でもしますか)

じっと彼女の瞳を見つめる。見つめ返してくるその表情は、相変わらず強気で。堅固なままで。

そのことに、気付かれない程度に微かに溜息を吐く。

 

 

「…わかりました」

 

 そう口にすると、相手が微かに口元を緩めたのが見えた。同時に、気配がほんの少し和らいだように感じる。今度は相手にもわかるように改めて溜息を吐いて、組んでいた手を解く。

「明日、またこの時間に、部室へ来てください。フロッピーディスクに入れて渡しますから」

 足元のローラーを転がして、軽く椅子を引く。机と体の間にゆとりが出来るくらい下がると、同時に彼女が椅子を引いて立ち上がるのが見えた。

 

「プリントしたもので良いですよ。それくらい、速攻で覚えますから」

 それがどの位の分量になるとも知れぬ物に対し、全く意に介す様子もなく言い切る。おそらくそれは――こちらにそれだけの分量で用意しろという牽制ではなく、どれだけの分量だとしても覚えきれるという自信からだろう。

 立ち上がり、机に片手を着いて、ニッコリと微笑む。

「…なら、これで契約成立ですね?」

 

 言いながら、彼女が瞳を覗き込んでくる。仕方無しに、肩をすくめながら頷く。

「ええ」

 そう言ってやると、この時、初めて彼女が歯を見せて笑ったような気がした。

 

 

 

                                                        

 

 

 

 ――後日放課後。浅月香介は屋上で、珍しい人の姿を見つけた。

 やたらに背の低い、おまけに手足が細くてどことなく色素の薄い、長い髪を頭の両端で留めた女生徒。その手には、いつもメロンパンが握られているはずで。

 

背中側しか見えないけれども、自分の知人に良く似た――というか、明らかにその知人そのものにしか見えない。

この屋上は、大抵、鳴海歩か自分か、それか少数の生徒しか使わないという、学校内での数少ない穴場で。さらには、ここで殺人事件なんかがあったもんだから、余計に人が寄り付かなくなったという、格好の昼寝場で。

珍しいこともあるもんだと、そんなことを考えながら、その背中に向けて声をかける。

「――理緒、何やってんだ?」

 

 少しずつ距離を詰めながら声をかけると、彼女が今頃気付いたかのように、驚いた顔で振り向くのが見えた。

 確かに屋上ということで少々風が強く、足音やらドアを開けた音が聞こえなかったのは仕方がない。が、本来は鋭敏なはずの彼女が、ここまで近寄った人の気配に気付かなかったというのは、それ程何かに熱中していたということだろうか。

 

 

「こーすけ君」

 振り向いたその目が、驚きによって大きく見開かれているのが見える。ゆっくりと、目を数度瞬かせる。その様子は、彼女自身、知らずに人をここまで近寄らせたことに驚きを感じているのだろう。

「…何やってんだ」

 もう一度同じ質問を口にしながら、彼女の横に回り込む。

 

 手元には、メロンパンではなく、端をクリップで留められた数枚のA4用紙。風に飛ばされまいと多少強めに押さえているせいか、紙が寄れて、大小の皺が付いているのが見えた。

「何だそれ」

 疑問を口に出しながら、それを手に取ろうとすると、しかし直前で横にズラされる。意外に素早い。

 そうして、きつい眼差しで睨まれた。「――駄目。コレは」

 その様子に思わず肩をすくめる。仕方なく、「何だそれ」と同じ質問を繰り返しながら彼女の横に腰を下ろす。と、盗みゃしねーってのに、今度は反対側に隠しやがった。

 その態度に軽く睨み返してやると、理緒が拗ねたように顔をそっぽに向ける。そうして、大事そうに冊子を抱えたまま。

「あたしが、ひよのさんから買ったんだから」

 続くその台詞に、我知らず唖然とする。

 

 

「……は?」

 

 間抜けな声が出たのは、むしろ仕方ない。予想だにしない――まさか理緒が、あの譲ちゃんから情報を買うなどというのは。天変地異か、それは。

「弟さんのデータだよ、コレ」

 シラッと言ってのけるその様子を、愕然と見つめる。その台詞に何となく、頭が痛くなる気がした。

「…マジ?」

 

 呟いてみて、無意識に頬を掻く。ついにあの譲ちゃんは鳴海の弟でさえ売り渡しやがったかと、背中に冷たいものが走った気がする。

 それは、獅子は子を谷底へ突き落とすとか言う故事のごとくなのか、情報屋のプロフェッショナルとしての心意気なのか――それならば、存分に感心するけれども。褒めてやりたくも思うけれども。

 

(…あるいは、金の魔力か)

 

 一番あり得そうな解答を頭に思い浮かべ、小さく溜息を吐く。この選択肢の中に、通常なら入っているはずの、理緒の脅しが入っていないのは、さすがに彼女ならではと言えよう。

 

 

「ダウンロードしてるんだ」

 再び先程の冊子に目を通しながら、理緒が片手間に話してくる声が聞こえる。こちらのことなど半分以上上の空なのは、隣で座って見ていてもわかった。

「…ダウンロード?」

 目を瞬きながら聞き返す。確かそれはパソコン用語で。しかし当然、辺りにパソコンらしい物は、陰も形も無い。そのことに、思わず身を乗り出して、彼女の周囲を確かめてみたりするけれども。

「違うよこーすけ君」

 

その気配にチラと横目で振り返って、理緒がこちらを見て薄く笑う。人差し指を頭にコツコツと当てて、それから太陽の昇る正面を見据えるのが見えた。そうして、見えたのは、横顔だけの強気な笑顔。

 

 

「あたしの中に、彼をダウンロードしてるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  インストールかもしれない。正しい言葉は。ダウンロードではなく、もしかすると。

 ずっと前に『インストール』って題の小説があるの見かけて、その題名から作ってます、今回の話は。中身は読んでないけど。

 あの題を見た瞬間に、コレしか浮かばん自分って一体。(題名と表紙見て、こんな話かなーって思って買ったり買わなかったりするでしょう?本を)

 どうしてもダウンロードって言葉が頭の中に残ってて、結局こっちの言葉にしました。題名含む。きっと他所の漫画のせいに違いない。それと、響きも嫌。

 ちなみに、理緒の普段の可愛らしさは、確実に素だと信じてます、自分。

 

 

 Last up date:2005-07-18

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