その手を振りほどく。
きっとそれが必要になる時が来る。
ケーキと月と
その時がきっとあると――それは確信として。
実年齢六十八歳の小さな背中を見送って、襖が閉じられると同時に視線を落とす。パタパタと廊下を足音高く駆けていく様子が、手に取るようにわかる。
(…彼女は、まだ小さな子供だ)
齢千歳を超える自分から見れば、大抵の者はそうなるに違いない。
だが、理由はそれだけでなく。
実際問題として、千歳を軽く生きるヴァンパイアにとっては、百にも満たないなど子供ととられて間違いない。ひよっこもひよっこ。それこそ、生まれて間もないに等しい。
実年齢を人間と比べる故に、数が大きくなるのは仕方ないが、本来、人とヴァンパイアとでは比べる軸が違う。
どちらにしろ、それは長い時を生きる者でも、短くして死んでしまう者でも要は密度の問題だ。
どれだけ、その年齢までの間に、濃く生きたか。何を成したか。
その点を考えてみても、やはり結論はただ一つ。
――レティシアは、まだ子供だということ。ただそれだけだ。
彼女がたった今持ってきたばかりの、ケーキの乗った皿をじっと見つめる。その小さな背中を思い浮かべる。
(レティにはまだ、庇護が必要だ)
ダムピールたちとの戦いに明け暮れ、どれだけ場数を踏んでいたとしても、彼女はまだ、守られるべき小さな存在だ。
確かに連れ出したのは自分かも知れないが、それでも。
(…巻き込むわけにはいかない)
月を見上げ、そっと溜息を押し留める。
今はもう、愛しいあの人を思い浮かべることしか出来ない月を。
(彼女は何も知らない)
――知らないのは、自分が教えないからだ。
(だが、『真実は話してくれなくていい』と…)
――敢えて聞かないのは、言いたくないことなのだとわかっているからだ。
聞きたくないはずも無いだろうに、それでも、強引に聞き出すことはしない。望みはしない。
無理をしなくて良いと、そう、彼女は言ってくれている。そんなことで、離れていったりはしないと。安心して頼っていいと。
そんな彼女の気持ちに、そっと目を細める。
(…ありがとう)
ゆっくりと目を瞑り、再び時間をかけて開く。
目に映るのは薄い光。頭上には、欠けた月が、先程と寸分変わらない位置で浮かんでいるのが見える。
ありがとう。――でも、御免。
思い出すのは、いつもはつらつとした笑顔。その笑顔を、一瞬でも曇らせるのは忍びないけれど。
きっと伸ばされたその手を、離す時が来る。
だからその時のために。
「ありがとう」
と、口内で呟く。
ふと、彼女の元気な笑顔が脳裏に浮かんだ。
こんな様子を見せたら、またレティに「いじけるのは良くない」だとか、「考えが後ろ向きだ」とか何とか言われるのだろうか。
薄く笑って、今度こそケーキの皿に手を伸ばす。
そういえば、さっきの分、少し物足りないな、と。
せっかくだから、食べておこうかなと。
そんな、聞く人が聞いたら、間抜けにすら思うかもしれないようなことを考えながら。
※後書き※ 2連続で『十字界』。やはり、3巻買った買ったその夜に書いて。 短いね!自分的には理想的短さだね!そうは言っても、いつも長いけどね!(笑えねえ) …『ヴァンパイア十字界』の小説は、自分、全部題名が月関連すね。 いつも通り、感想お待ちしてますー。 BY dikmmy |
2004-10-27
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